モスクワ通信『中世ドイツ、ソ連、そしてロシア!融合の飛び地カリーニングラード』

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世界最大の国土を持つロシアですが、その最西端に、飛び地の小さな州を持っています。ポーランドとバルト三国(リトアニア、ラトヴィア、エストニア)との間にあるカリーニングラード州です。

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もともとはドイツ領のケーニヒスベルクでしたが、1945年、第2次世界大戦で、ナチス・ドイツ軍と赤軍との激しい戦いで壊滅。(第2次世界大戦中には、大量のユダヤ人にビザを発給して命を救った日本人外交官の杉原千畝氏も一時期ここケーニヒスベルクで働いていました。)終戦とともにソビエト連邦のものとなり、最高会議幹部会議長であるカリーニンの名をとってカリーニングラードと名づけられました。その後、ソ連式に都市化されソ連人が移住してきたこの町は、ソ連崩壊後まで閉鎖都市となり、外国人は立ち入ることができませんでした。

現在では古き良きプロイセンを訪ねるツアーなどドイツからの観光客も多く、都市の再開発によってドイツ風の街並みやドイツ料理&ビールを味わえるレストランが出来たり、ドイツとの協力のもとでケーニヒスベルクの歴史を知ることができる観光スポットも大切にされています。ロシアで初開催された2018年ワールドカップでは、カリーニングラードも会場のひとつになりました。

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△モスクワから鉄道ヤンタリ(琥珀)号を使うと市南部の南駅に到着します。(飛行機だと約2時間)

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△南駅すぐ隣のカリーニン広場に建つカリーニン像。ミハイル・カリーニンは、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキに属して活動していた革命家で、その後ソビエト社会主義共和国連邦の最高会議幹部会議長を務めます。レーニン没後は、最高指導者の後継にヨシフ・スターリンを推したと言われ、そのスターリンによってここはカリーニングラード州カリーニングラードと名づけられました。(また、カリーニンの出身地であるトヴェリもかつて1931年から1990年まではカリーニンと呼ばれており、現在も通りの名前などにカリーニンの名前が残っています。)

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△カリーニン広場のカリーニン像からレーニン大通りを徒歩数分。今度は、レーニン広場のレーニン像が見えてきました。

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△街の中心にでんと鎮座するのは・・・カリーニングラードのランドマークになるはずだった廃墟の“ソヴィエトの家”!ここにはかつて、中世の赤煉瓦造りが美しいケーニヒスベルク城や城塞がありました(ケーニヒスベルク はドイツ語で“王の山”という意味だそう)。戦後、ソ連によって城は破壊され、代わりに1975年ビジネスセンターの“ソヴィエトの家”が建てられ、そして完成することもなく廃墟となって現在まで残っています。ちなみにケーニヒスベルク城の地下はお墓だったそうで、今もその呪いが・・・なんてささやかれたりもしています。

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△町の中心を流れ、バルト海に注ぐプレゴリャ川の中洲カント島にあるゴシック様式の大聖堂(Кафедральный собор)。ソ連時代は廃墟のままで放置されていましたが、近年ドイツとの協力で修復されました。聖堂の内部にはプロイセンとケーニヒスベルクの歴史関連資料が展示され、上階はドイツの哲学者カントの博物館になっていました。イマヌエル・カントはここで生まれ育ち、ケーニヒスベルク大学の教授として生涯を過ごしました。チャイコフスキー作曲のバレエ『くるみ割り人形』の原作小説を書いた作家ホフマンも同じくケーニヒスベルク出身で、同大学ではカント教授の講義を聴講していたのだそうです。ケーニヒスベルグ大学は、ポーランドのクラクフ大学についで中東欧では2番目に古い歴史ある大学で、現在はカリーニングラードにあるカント名称バルト連邦大学の一部になっています。

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△美しい水の都!ケーニヒスベルクの町を再現したジオラマ。

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△聖堂内はケーニヒスベルクをテーマにした沢山のステンドグラスも見所です。ドイツ騎士団の紋章や武器、衣装なども展示されています。パイプオルガンが自慢の音楽ホールではコンサートも催されていました。

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△建物の裏手には哲学者カントの眠るお墓もありました。また、大聖堂の周りは緑の美しい彫刻公園になっており、たくさんのロシアの偉人の彫像がありました。

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△ピョートル1世像

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△チャイコフスキー像やガガーリン像、ほかにもたくさんのユニークな彫像が点在していました。

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△プレゴリャ川沿いを散策してみましょう。ハニー・ブリッジ(Медовый мост)の欄干には、可愛らしいおじいさん(дедушка хомлин)が座っていました。名前の通り、橋では結婚ホヤホヤの新婚カップルが数組、蜂蜜のようにあまい記念写真を撮っていました。ロシアでは結婚した2人が、ウェディングドレス姿で町の景色の美しい場所をまわり、記念写真を撮る風習があります。そして、橋の上では、永遠を誓って二人の名前を書いた南京錠をかけたりするのです。

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△ドイツ風の街並みが楽しめる川沿いエリア。気持ちよさそうに風を受けて遊覧船が行き来しています。

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△プロイセン時代に魚市場として栄えていた場所は、都市再開発により、“フィッシュ・ビレッジ(Рыбная деревня)”と呼ばれシーフード自慢のお洒落なレストランが並んでいました。写真中央にある灯台の展望台に登ってみると、

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△展望台からは美しいカリーニングラードの町を一望できました。ここからも廃墟“ソヴィエトの家”が見えます。幸せの鳥のモニュメントも。展望台まで階段を登って行く途中には、ガラスの作品やアクセサリーなどが展示販売されていました。

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△バルト海に面した不凍港カリーニングラードはロシア海軍バルチック艦隊の軍事拠点にもなりました。海洋博物館には水族館があるほか、海に関するさまざまな展示を見ることができるそうです。海洋調査船や潜水艦なども公開されています。

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△カリーニングラードからさらに鉄道や車で約1時間、バルト海沿いの町ゼレノグラツク(Зеленоградск)へ足を伸ばすと、夏を満喫できる海辺の保養地になっていました。写真奥は、リトアニアとの国境へつづき、ユネスコ世界遺産にも登録されているクルシュー砂州(Куршская коса)になっています。

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△潮風を感じながら海沿いをゴーカートや自転車でサイクリングしたり、海辺のブランコで夕陽を眺めたり、砂浜でビーチバレーをしたり、思い思いに過ごしています。

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△ゼレノグラツクの可愛らしい街並み。

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△猫の博物館があり、猫の信号、猫のベンチ、猫の家・・・町は猫のモチーフでいっぱい!あちらこちらをのんびりと猫がお散歩しています。

中世ドイツのケーニヒスベルクからソ連、そしてロシアへと歴史を紡ぎ、飛び地ならではの文化の交差点となっている融合の都市カリーニングラードです。

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