前編ではロシアの入学&卒業シーズンについてご紹介しましたが、 学校生活のもうひとつの楽しみといえば、学用品。毎日手にする文房具などもその国の文化や価値観が表れやすいアイテムです。

ロシアで子育てをしていた私は、日本との違いにたびたび驚かされました。今回は、ロシアの「学びの道具」たちをご紹介します。

実はロシアでもランドセルが大人気!

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私がモスクワで暮らしていた2017〜2020年、日本ではお馴染みの“あるもの”がロシアで大流行していました。それがなんと…日本のランドセル!

赤や黒のランドセルが、中央子どもデパートをはじめ、百貨店「グム」のショーウィンドーを飾り、まるで日本の新学期がそのままロシアにやって来たかのよう。人気の背景には「日本の高級品」というイメージに加え、耐久性・機能性・美しさへの憧れがあるようでした。

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△ブログ前編でもご紹介したロシア人美少女モデル、アナスタシヤ・クニャゼワちゃんも、Instagram(@knyazeva_anastasiya_official)のなかで、ロシアのランドセルショップで購入したお気に入りのランドセルを紹介!またランドセルを背負ったお洒落なファッションをたくさん披露して、当時の子どもたちの注目の的に!

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△街中でも実際にランドセルを背負った学生さんとすれ違うこともありました。

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△店員さんによると、2015年頃から少しずつ見かけるようになり、2017年に人気が一気に高まったとのこと。

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△中央子どもデパートのなかのランドセル店(2022年)日本同様、定番の赤や黒だけでなく、水色やラベンダーなどカラーバリエーションも豊富です。(関連☆モスクワ通信『60周年を迎えたルビャンカの中央子どもデパート』

青いボールペンが基本です

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ロシアの文房具売り場でまず目に入るのが、青いボールペンの豊富なラインナップ。日本では公式書類には黒が一般的ですが、ロシアでは青インクが主流です。理由は、「印刷部分と直筆部分が見分けやすいからでは?」という説も。

学校でも、日本では鉛筆でノートを取り間違えたら消しゴムで消すのが普通ですが、ロシアの子どもたちは青いボールペンで書き、間違えても線で訂正。
「間違いも学びの一部だから、残すんだよ」という考えが印象的でした。

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△私のお気に入りは、グジェリ柄やホフロマ風の青ペン。文具コーナーでも青インクは目立つ存在でした。

 

ノートはA5サイズが定番。

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△ロシアのノートは、日本のB5より一回り小さいA5サイズが主流。△ソ連時代から変わらぬこちらのノート(2ルーブル50コペイカ)。先日訪れた『子ども時代ミュージアム』にも展示されていました。(関連☆モスクワ通信『60周年を迎えたルビャンカの中央子どもデパート』)・・・

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△中身は「横罫(в линию)」と「方眼罫(в клетку)」の2種類があります。

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△表紙には「教科・学年・クラス・学校名・名前」をロシア語でしっかり書き込む欄が。記入の仕方をロシア人のお友達に見せてもらいました。日本では固有名詞や人の名前は変化せず、“て、に、を、は”などの助詞を使って活用しますが、ロシア語では名詞そのものの末尾を変化させて活用するため、なんと人の名前まで変わってしまいます・・・!

△裏表紙にはよく筆記体の練習見本がついています。

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新学期シーズンには、カラフルなデザインのノートが並び、あれもこれも欲しくなってしまいます。表紙にはプーシキンやレフ・トルストイなどの文学者、宇宙飛行士や科学者など、子どもたちが尊敬する人物たちが描かれていることも多く、「憧れとともに学ぶ」文化が根付いているように感じます。

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△たとえば、プーシキンと学ぶ“文学“のノート

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△文学、ロシア語、歴史、化学、こんなシリーズで揃えるのも素敵ですね!

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△「外国語学習ノート」には日本の国旗も発見!語学ノートの中身は、単語・意味・用例が書ける仕様で、ロシア語学習にもピッタリでした。

ちなみに教科書の多くは伝統的に、学校から支給されたり図書館から借りたりして、先輩のお下がりを大切に使い、また学年末には次の学年のために返却していました。ここは日本でも取り入れてみたら良いかもしれませんね。

 

ソ連時代の定番文具も健在

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さきほどのノートも「ソ連時代からの定番」ですが、ほかにも印象的だったのが、ハリネズミの鉛筆立て。鉛筆を立てるだけでなく、定規や消しゴムを挟んだりもできる実用性と可愛らしさを兼ね備えた一品です。とっても便利で可愛らしいのに、少しずつ見かけなくなってきました。緑豊かなロシアでは、森の中などでよくハリネズミをみかけるため、ロシア人には親しまれていて、子ども向けのグッズにもイラストが描かれています。

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△こちらは、レストランで見つけた子ども向けの塗り絵のサービス

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△もうひとつの定番が、カラフルな本立て。アニメ「ミーミーミーシュキ」のキャラクター入りなど、今も子どもたちに愛されています。

 

学用品以外にも、ロシアの学校や学校生活には日本とは違う面白い発見が詰まっています。たとえば、ソ連時代の名残りでたくさんの学校名が番号で呼ばれていたり(例:810番学校、1239番学校のように)、登校したら学校で朝ごはんを食べることとか、挙手の仕方とか、

勉強も遊びも、子どもたちにとっては「世界を広げる冒険」。道具の形は違っても、「学ぶことの楽しさ」は万国共通。ロシアの文房具売り場には、そんな世界共通のまなざしと、ちょっとした異文化のトキメキが詰まっていました。

 

6月、日本の子どもたちは1学期を終え、夏休みに向けて勉強と遊びの計画を立て始める季節。

一方、ロシアでは6〜7月は学校生活の一区切りの時期。欧米と同様に9月に新学期が始まるため、長い夏休みを前に、学年末、そして卒業式をむかえます。日本とは異なる年間サイクルのなかで、子どもたちは春から夏へと移っていきます。(関連 ロシアの子どもたちの音楽教育をのぞいてみよう〜ロシアの新星コンサート2024特集!

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△ロシアの四季の移り変わりや旬の食べ物を知ることが出来るスーパーマーケットの広告チェックは、生活の楽しみのひとつ!5月号にはよく、卒業式のテーブルに並ぶごちそうやパーティメニューが紹介されていました。

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入学式は「最初の鐘」、卒業式は「最後の鐘」

ロシアの入学式では、「最初の鐘」という伝統的なセレモニーがあります。

息子が通っていた学校でも、立派に成長した頼もしい最上級生が、まだ幼さの残る初々しい新入生の女の子と手を繋いで、全校生徒のまわりを1周しました。お兄さんに手を引かれながら一歩ずつ歩く姿に、見ているこちらも胸が熱くなったものでした。この「最初の鐘」は、ロシアの子どもたちにとって学びの始まりを告げる特別な瞬間です。

一方、学年末や卒業式では「最後の鐘」が鳴らされます。これは新たな人生の節目を象徴する儀式で、1年間の努力を讃え、未来へ向けたエールのようにも感じられます。

また、日本の卒業式には桜がつきものですが、ロシアでは5〜6月にライラックが満開を迎えます。卒業式の広告やパーティメニューの案内にも、香り高いライラックが描かれていて、まさにロシアらしい季節の彩りです。(関連 ライラック)

卒業パーティでは、子どもたちが先生に花束や贈り物を渡し、学びの締めくくりに感謝を伝えます。

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△こちらは同じスーパーの9月の広告です。ロシアの新学期は「勉強の秋」という雰囲気ですね。「最初の鐘」を鳴らすので、新学期を象徴するモチーフとして鐘も描かれています。

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△9月の新学期、学校の黒板にチョークで書かれていた可愛らしい絵。先生たちから「たくさんの新しい知識を得て、素晴らしい一年にしましょう!」のメッセージが添えられていました。

花束を手に、先生へ「ありがとう」を届ける日々

ロシアの学校では、大切な日に子どもたちが先生へ花束やプレゼントを贈る習慣があります。9月1日の「知識の日(День знаний)」や、10月5日の「教師の日」はその代表例。

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△9月1日は 「知識の日(День знаний)」とも呼ばれています。

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△スーパーの広告の表紙に特集された「教師の日」

子どもたちはきちんとした服を着て登校(女の子はよく、頭にふわふわの大きな白いリボンをつけます)。そして、先生へ感謝の気持ちを込めた花やプレゼントを手渡します。これは日本にはあまり見られない光景ですが、こどもたちやその保護者から先生たちへ、さらに教育への敬意を社会全体で表しているように思えます。

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△世界的に人気のロシア人子役モデル、アナスタシヤ・クニャゼワちゃんもInstagram(@knyazeva_anastasiya_official)でも、「教師の日」の様子が紹介されていました。

このように「教師の日」以外にも、ロシアには職業を祝う日が決められていて、「宇宙飛行士の日」などは特に盛大に祝われます。国営国際ラジオに勤務していたときには、5月7日のラジオの日は、社長が各部屋を周り皆に挨拶や差し入れをしてくださったり、局内みんなでおめでとう!を言い合ってミニパーティをしたりして祝っていました。消防士の日、エコノミストの日、警察官の日、法律家の日・・・ほかにもたくさんあります。

 

「新しい1年を迎える喜び」や「先生への感謝」、「学びへの敬意」――こうした気持ちは、国や文化を越えて響き合うものでしょう。

後編では、ロシアの文房具やノートの違いから見えてくる、「学びの道具たち」の文化をご紹介します。

 

ジョージアとロシアを代表する芸術家であり、ロシア美術アカデミー総裁を務めたズラブ・ツェレテリを悼んで、前編では彼の作品が彩るモスクワの街並みや、壮麗なアート・ギャラリーをご紹介しました。

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△芸術家ズラブ・ツェレテリをテーマに自ら制作した作品

後編では、ジョージアの名のついた通り(ボリシャヤ・グルジンスカヤ通り)にあるもうひとつのツェレテリ美術館をご紹介。さらに世界各地や日本で出会える作品にも注目していきます。

 

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△ツェレテリのアトリエを改装した美術館は、「もうひとつの顔」に触れることができる場所です。

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△エントランスでは、国民的歌手アーラ・プガチョワが両手を広げて来館者を迎えてくれます。

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△アート・ギャラリーと同じく圧倒的なスケール感がありながら、どこか実験的で、遊び心を感じさせる空間が広がっています。

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△国際的な活動も盛んだったツェレテリは、“世界中に巨大な彫刻作品を贈る芸術家”としても知られていました。館内には、ツェレテリが参加した国際展の記録や、各国での活動もパネルで紹介されています。

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△ こちらは、アメリカ同時多発テロ事件の犠牲者を追悼して制作されたモニュメント『悲しみの涙(Слеза скорби/Tear of Grief)』の縮小版。高さ約30メートルの実物は、ニュージャージー州のハドソン川沿いに設置されています。中央には涙を象徴するしずく型のモチーフを配し、悲しみと連帯の想いを表しています。

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△『善は悪に勝る(Good Defeats Evil)』は、1990年の国連創設45周年を記念し、ソ連からニューヨークの国連本部に贈られた作品です。聖ゲオルギウスがドラゴンを倒す構図で、このドラゴンの部分は実際のミサイルの破片で制作されました。これは、1987年の中距離核戦力全廃条約(INF条約)に基づき廃棄されたソ連とアメリカのミサイルを用いたもので、核軍縮と平和の象徴として位置づけられています。(国連のHPより写真転載)

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△コロンブスが卵の殻の中から現れる姿を表現した『新しい人間の誕生』の縮小版。1995年のアメリカ大陸発見500周年を記念して、モスクワ市からスペイン・セビリア市へ贈られました。

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△ 屋外には、カラフルな彫刻が溢れる彫刻庭園も見どころのひとつ。

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△こんなふうに作品に入り込んで・・・

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△気に入った作品と一緒に写真撮影することもできます。

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△敷地内にはジョージア正教の教会や、

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△ジョージアの食堂やジョージアのパン屋さんも併殺されており文化を五感で味わうことが出来ます。

 

ツェレテリと日本

さて、ツェレテリ作品は、日本国内でも鑑賞することができます。

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△東京・港区の在日ロシア連邦大使館の絢爛豪華なシャンデリアがきらめく大レセプションホールには、

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△ツェレテリの銅版画『首都モスクワ、我がモスクワ』が圧倒的な存在感で展示されています。式典やコンサートを荘厳に華やかに演出しています。

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△また、ホールへ続く大階段を鮮やかに彩るステンドグラス作品『旗』もツェレテリの作品です。

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△こちらは、日ロ国交回復50周年を記念して制作された鳩山一郎元総理の銅像。モスクワ市から鳩山家に寄贈され、東京・文京区の鳩山会館に設置されています。

 

芸術に国境はない。

そう信じ、情熱と愛にあふれた創作活動をつづけたツェレテリの生涯は、多くの人々に刺激を与えました。

彼の手がけた力強い作品とエネルギーは、モスクワで、東京で、そして世界の街で、これからも生きつづけていくでしょう。

 

2025年4月22日、ロシア現代美術界を代表する彫刻家、ズラブ・ツェレテリ氏が91歳でこの世を去りました。ソビエト連邦から現代ロシアへ、その激動の時代を駆け抜け、彼の手から生まれた巨大な彫像群は、ロシア、そして世界各地にそびえ立ちます。圧倒的なスケールと情熱は、私たちの記憶に深く刻まれました。

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モスクワ中心部の救世主ハリストス大聖堂で葬儀が行われ、故郷ジョージア(グルジア)のトビリシでも追悼式が行われました。1980年モスクワ五輪ではチーフアーティストに任命されるなど、ロシア芸術界を象徴する存在でした。生涯で手がけた作品は、なんと5000点以上。「モスクワ中が彼のアトリエのようだ」と言われるほど、街のあちらこちらにその足跡が残されています。

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△1923年、ジョージアのトビリシに生まれたツェレテリは、画家としてキャリアをスタートし、やがて彫刻家、建築家、そして芸術教育者へと多彩な道を歩みました。彼の名を広く知らしめた代表作のひとつは、モスクワ川沿いに立つ高さ約100メートルの『ピョートル大帝像』です。

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△そのほかにも、改修の際にデザインや彫刻を手がけたモスクワ動物園、コスモス・ホテル前のシャルル・ドゴール像など、市内には多くのツェレテリ作品が点在しています。

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△以前ご紹介した『モスクワ噴水コレクション』に登場する噴水のなかにも、彼の手による作品があります。クレムリン近くのマネージ広場で躍動する4頭の馬の噴水や、ニクーリン・サーカス前のクラウンの噴水などです。(関連ブログ☆モスクワ通信『モスクワの宝石箱!夏空にきらめく噴水コレクション』

今回のブログでは、追悼の思いを込めて、モスクワにあるふたつのツェレテリ美術館をご紹介します。

 

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△ロシア美術アカデミーの一部として運営され、ツェレテリの絵画や彫刻、ステンドグラスなどが展示されています。

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△この美術館のシンボルともいえる巨大なブロンズ製の『りんご Apple/Яблоко』は、アダムとイヴのりんごをテーマにした作品で、なかに入ることもできます。

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△壁一面のモザイクやレリーフ、所狭しと並ぶ彫刻の数々…!この空間に一歩足を踏み入れると、まるでツェレテリの思考の中に迷い込んだかのような不思議な感覚に包まれます。

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△人気の展示のひとつが「私の同時代人たち」シリーズ。ロシアの著名人のブロンズ肖像やレリーフがずらりと並びます。柔道着姿のプーチン大統領や、

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△伝説的なバス歌手シャリャーピン、吟遊詩人オクジャワ、詩人エセーニン、宇宙飛行士、作家、俳優、バレエダンサー、演出家、音楽家・・・その鋭い観察眼と温かなまなざしで個性を捉えた作品群は見応えがあります。巨匠でありながら、常に「今」と向き合っていた彼の姿勢が、空間全体から感じられます。

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△宗教や歴史、民族神話などをテーマにした作品も多く、ツェレテリらしい力強い色彩と圧倒的スケールで展開されています。

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△ツェレテリがこよなく愛した人物チャーリー・チャップリンをテーマにした作品が数多く展示されています。チャップリンのユーモア、哀愁、正義への姿勢、そしてその表現力と人間性は、ツェレテリの芸術感に重なります。

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△ピョートル大帝像をはじめ巨大モニュメントの縮小版も。

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△そして見逃せないのが、館内に併設されたレストラン「アーティスト・ギャラリー」。

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△ハチャプリと呼ばれるチーズのパンやくるみペーストを巻いたナスの前菜、独特のスパイス香る煮込み料理など、本格的なジョージア料理を楽しめます。

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△どこもかしこも見渡す限り、ツェレテリ作品で埋め尽くされた店内の装飾!パレットをイメージしたメニューも味わいがあります。

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後編では、モスクワにあるもうひとつのツェレテリ美術館と、世界各地や日本で出会える作品に焦点を当てていきます。どうぞお楽しみに!

 

ブログ前編では、ワーレンキ博物館のツアーに参加して、伝統的な冬のフェルトブーツ「ワーレンキ」の作り方について学び、昔ながらのスラブの生活を体験しました。後編ではワーレンキの歴史をたどりながら、進化するワーレンキを追いかけます。

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△ロシアにおけるワーレンキの生産地を示した地図。1917年以前(赤)と1917年以降(緑)で色分けされています。

ロシア革命前は、伝統的な手工業が地方都市に集中していましたが、革命後はソビエトの工業化政策の影響で、生産地が広範囲に拡大していきます。

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△「祖先のワーレンキ」コーナーでは、さまざまな貴重な昔のワーレンキが展示されていました。こちらは100年以上前の礼装用のワーレンキ。全体に美しい刺繍が施されています。タタルスタン共和国ククモルの工場から寄贈されたものです。19世紀半ばまで、ここにはワーレンキ製造で最大級のコマロフ兄弟の工場がありました。

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△第二次世界大戦中に兵士たちに支給されたワーレンキの数は1億足以上とも言われています。長く厳しい冬に、兵士たちの足を守ったこのブーツの存在が、勝利の大きな要因のひとつになったと歴史家たちは考えています。

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△第二次世界大戦では最高軍司令官代理で戦後は国防大臣を務めたゲオルギー・ジューコフのワーレンキ。

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△その後登場したブルキ(бурки)は、高品質の白いフェルトと革で作られた冬ブーツです。ソ連時代の映画などでも見かけるこの美しいブーツは、1920年代から50年代にかけて、政府の指導者や高官、軍人など当時の社会のエリート層に人気の高級な履物でした。

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△一方、農村では、ラプキ(лапки)と呼ばれる伝統的なわらじのような靴を履いていました。菩提樹や白樺などから作られていて、オヌーチ(онучи) と呼ばれる靴下のように足に巻いて保護する布と一緒に使われていました。

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△その後、ゴム製のカバーや靴底などが作られるようになりました。

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△世界の伝統的な履物を紹介するコーナーには日本のわらじも発見!ほかには、モンゴルの乗馬に適した形になっているフェルトブーツや、オランダの木靴、ハンティ・マンシースク管区のトナカイ皮のブーツなどがありました。

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△ヤロスラヴリやククモル(タタールスタン)など、国内の主要工場のワーレンキも展示されていました。

 

そして、伝統的な履物から進化したワーレンキの芸術的な価値が大きく見直されたのは、ロシア連邦文化省の後援で2000年に開催された展覧会「ワーレンキ」が大きなきっかけとなりました。

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△繊細な刺繍が施されたもの、色鮮やかにペイントされたもの、ファーやビーズで装飾されたものなど。

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△シンプルなワーレンキからインスピレーションを得てクリエイターたちが制作した作品が並びます。

 

つづいては、2009年に開催されたワーレンキのコンクール受賞作の数々。

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△日本のアーティスト高梨真澄さんから寄贈されたマトリョーシカチャーム付きのワーレンキもありました。

 

さて、こうして伝統的な履き物からアート作品として進化したワーレンキですが、現在のモスクワの街中では見かけないのか?というと、実はこんなお洒落なブーツになっていました。

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△1月にご紹介したロシアのショール「プラトーク」と「ワーレンキ」を組み合わせたバッグ&ブーツは、ロシアの冬のおしゃれにぴったり!値段もとってもお手頃なので、私も思わず2足購入。

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△可愛らしいデザインの子ども用も。ほかにも、スリッパなどのフェルト小物も展開されていました。

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△こちらはモスクワにあるワーレンキをテーマにしたロシア料理レストラン。季節ごとのディスプレイが楽しい入り口前の大きなワーレンキが目印。ワーレンキ型のケーキもおすすめですよ。

見て楽しい!履いて温かい!ロシアの冬を満喫するのにぴったりのワーレンキから今後も目が離せません!

ロシア伝統的な羊毛フェルト製ブーツ「ワーレンキ(варенки)」をご存知ですか?

極寒の冬を耐え抜くための必需品として長い歴史を持ち、マトリョーシカ人形や湯沸かし器のサモワールと同様に、しばしばロシアをイメージするアイコンのひとつにも挙げられます。

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そんなワーレンキの魅力を探るべく、モスクワにある「ロシアのワーレンキ」博物館を訪れました。

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△建物の一角が予約制のミュージアムになっており、ショップも併設されています。2001年冬のオープニングにはなんと、ワーレンキを履いた本物の熊が登場、民族舞踊グループと共にダンスを披露してメディアで話題になりました。

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△通りの角にある博物館の入り口(左)とワーレンキのお店の入り口(右)

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△ちいさなミュージアムですが、ワーレンキの歴史と魅力が詰まっています。

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△親子ツアーに参加し、ワーレンキづくりの工程について学びます。みんな興味津々!

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△1920年代の貴重なモノクロ写真で、昔のワーレンキの工場の様子を見ることもできました。この工場は、ニジニ・ノヴゴロドで1903年にミトロファン・スミルノフによって設立された「スミルノフと息子たちの蒸気フェルト履物工場」で、ソ連時代に国有化され、「ニジニ・ノヴゴロド第一国立フェルト履物工場」となりました。

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△ワーレンキの原料となるのは、良質な羊の毛のみ!一般的に、女性用のワーレンキづくりには約1,500グラム、男性用には2,000グラム以上のウールが必要とされています。

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△ワーレンキの起源については諸説ありますが、古く13世紀ごろまで遡るともいわれています。羊毛は、もともとは遊牧民の住居ゲルなどに使用されており、その後ロシア全土に広がっていきました。寒冷な気候の中で、足元を暖かく保つための実用的な履き物としてワーレンキは愛用されてきたのです。

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△選別された羊毛を梳き、不純物を取り除くための櫛など伝統的なワーレンキ造りで用いられる実際の道具を手に取り、それぞれの使い方の説明を聞きます。

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△昔ながらの製造工程で使用されるのは、フェルト化の工程の前に羊毛の絡まりを解いて、繊維を均等に並べる重要な役割を担っている機械。熟練の職人が手動でハンドルを回して作業していきます。

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△大小さまざまなローラーがあり、羊毛が次第にほぐれながらシート状に広がっていきます。ローラーの表面には、金属の細かい針やブラシが付いていて、均一に整えるのに役立ちます。「手でさわってみてもいいですよ」に子どもたちは大喜び!

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ぬるま湯を浸透させてフェルト化します。マットの上で湿った羊毛を圧縮しながら擦ったり転がしたりしていくと、羊毛の繊維同士が絡み合い、生地が収縮して、密度が高く丈夫になり、保温性にすぐれたブーツになります。このとき、適度な湿り気の調整に熟練の技が必要なのだそうです。

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△布状になったフェルトで型紙を包むようにしてワーレンキの形を成型していきます。「つま先やかかとにウールを多く使用することで、強度と柔軟性が確保されます。縫い合わせる必要がないので針も糸も必要ありません。縫い目がない分とても気密性があり丈夫で長持ちします。」

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△成形が完了した後、木型にはめたまま数日~1週間かけて自然乾燥させてさらに強度を高めます。「生地が縮んでこんなに小さくなるんですよ!そのため完成形を見越して、かなり大きく型を用意しておかなければなりません。」

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△「スラブの生活」を可愛らしく再現したコーナー。ワーレンキとともに、昔から使われている道具を体験することができます。粉を挽いてペチカ(ロシア式の暖炉)でパンを焼き、水汲みに出かけてサモワール(ロシア式の湯沸器)でお湯を沸かしお茶を飲んだり、糸を紡いで機織りをしたり・・・

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△時代が違えば、毎日こんなお手伝いが日課だったのかしら?

(左)水汲みをするための天秤棒。両側に木桶がついているのが一般的ですが、ここはワーレンキ博物館らしくワーレンキがついていました!これでもかなりの重さがあり、「実際は水の入った桶をぶらさげて家まで歩くなんて」と驚きます。

(右) 鋳鉄鍋をフォーク状の鉄の器具で持ち上げて、いかにこの時代の女性たちの家事が重労働だったかを想像してみます。「今は空っぽだけれど、このなかには熱々のキャベツスープがたっぷり入っていたの。気をつけて運ばなくちゃね!」

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△揺りかごの上の赤ちゃん人形もちいさな可愛らしいワーレンキを履いていますね。

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△ツアーの最後は、特大ワーレンキを履いて記念撮影!

羊毛の山から頑丈で温かなフェルトのブーツ「ワーレンキ」が誕生する過程や職人の技術に、ツアーに参加した親子全員が感嘆の声を上げていました。

(後編へつづく)

独特の花柄デザインと正方形の形状で知られているロシアのプラトーク。

前編では、一大産地パヴロフスキー・ポサードの工場へ。製造過程を再現したコーナーで、伝統的な木版印刷の技術やレジェンドたちの作品などの展示から、プラトークがどのように作られているかを学びました。

後編は、街のなかの「プラトークとショールの歴史博物館」へ足を伸ばしてみましょう!

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△ちなみに、プラトークは、頭や首に巻くウールやシルク製のもので、装飾用やロシア正教の教会に入るときにつけるようなもの、シャーリ(ショール)は肩や背中を覆うような大きさを指すことが多いそうです。

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△入り口にはこんな可愛らしいフォトスポットも。

 

博物館で学ぶプラトークの歴史

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△19世紀から現代に至るまで、さまざまなプラトークが展示され、まるでタイムトラベルをしているかのように、美しいプラトークを通して、当時の生活や時代の変遷を感じることができます。

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△ロシアでプラトークは、冬の防寒具としてだけでなく、結婚式や宗教的儀式の際の象徴的なアイテムとしても使われてきました。

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起源は諸説ありますが、17世紀に東洋から伝わり、18世紀に広まったとされています。当初は貴族や裕福な商人の間で高級なファッションアイテムとして愛用されましたが、19世紀頃になると、職人たちが手織りやプリント技術を発展させ、農村部の女性たちにも普及していきました。

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ロシア正教の教会に入る際に、女性はプラトークを頭に巻くことが一般的です。神への敬意を表し、特に礼拝のときには大切ですし、入り口に観光客用のプラトークが用意されていることもあります。現代では少なくなってしまいましたが、伝統的な結婚式の儀式の一環として、花嫁の頭をプラトークで覆ったり、あるいは結婚式の贈り物として家族や友人たちからの祝福の気持ちを示すアイテムとして、また美しい模様や鮮やかな色合いで結婚式のテーブルを飾るために使われたりもしていました。

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△1862年にモスクワ各地の工場で作られたショール。アンティークなプラトークは、その時代のファッションや技術を反映しており、訪問者の注目を集めています。

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△19世紀後半のウールのジャガード織ショールとカーペット。東洋と西洋の模様が施されたロシアの織物は19世紀初頭に登場しました。フランスのジョゼフ・マリー・ジャカルによって発明された通称ジャカード織機は、革命前のロシアで広く使われるようになっていました。

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△20世紀初頭にパヴロフスキー・ポサードで作られた、シルクのフリンジが縫い付けられたジャカード織プラトーク。18世紀前半にはモスクワ近郊の村々で絹織物の生産が広く行われており、19世紀にはモスクワ州パヴロフスキー・ポサード市が絹織物産業の中心地となり発展していきました。残念ながらこの手織り機(ジャカード)で織られた絹製品の生産は、20世紀末には廃れてしまったそうです。

興味深かったのは、模様が時代ごとの社会情勢を反映していること。帝政ロシア時代の花柄は華やかで繊細な柄が、一方、ソ連時代にはシンプルで機能的なデザインが増えたそうです。

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△社会主義の時代にはこんなデザインも。ロシア革命や第二次世界大戦時の特別なデザインは、歴史的背景を深く理解する手助けにも。

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△こちらもソ連時代、ボリショイ劇場の200周年記念にデザインされたプラトークです。

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△パヴロフスキー・ポサード170周年などこの場所にちなんだプラトーク

このように特定の歴史的出来事や祝祭に合わせて制作された限定デザインのプラトークも多数展示されています。また、地域ごとの模様の違いや、宗教的な意味合いが込められたデザインも紹介されており、プラトークが単なる装飾品ではなく、ロシアの人々の生活や精神性と深く結びついていることがわかります。

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プラトーク型の記念切手

 

プラトークの魅力と現代的な楽しみ方

巻き方次第で表情が変わり、1枚でファッションの主役になってくれるプラトーク。実用的なだけでなく、長い歴史が織り込まれた奥深さが、手に取った瞬間から感じられます。

最後に、プラトークのショップへ。

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△パヴロフスキー・ポサードではもちろん、モスクワにもたくさんのお店があります。「気分に合わせて新作を」「大切な方への贈り物に」とロシア人にも愛されていますし、「ロシアを訪れた記念に」とお気に入りの一枚を選ぶ観光客にも大人気です。

あれこれ手に取ってみていると・・・私が選ぶプラトークはエレーナ・ジュコワさんの作品が多いみたい。色々迷った結果、モスクワへ会いにきてくれた母とお揃いで、«Ненаглядная»(愛しい人)と名付けられた1枚を購入しました。店員さんや常連のお客様にさまざまな巻き方を教えてもらって、すっかりプラトークに夢中の私たち母娘!ロシア旅行の間、毎日お互いにお気に入りのアレンジを楽しみながら温かく過ごしました。

パヴロフスキー・ポサードを訪れて、工場や博物館プラトークが持つ歴史、そして職人たちの情熱を肌で感じて、さあ、あなたはどんな物語のプラトークを選びますか?

 

寒冷なロシアの冬、ひときわ鮮やかに存在感を放つ「プラトーク(платок)」。

ロシア語で「スカーフ」や「ショール」を意味しますが、単なる防寒具ではなく、長い歴史のなかで培われたロシア文化の象徴的なモチーフのひとつで、ロシアの人々の生活や心に寄り添う大切な存在です。

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今回のブログでは、ロシアのプラトークの歴史や魅力、そしてその一大生産地であるパヴロフスキー・ポサードの工場と博物館をご案内しながら、奥深いプラトークの魅力を探ります。

 

プラトークの本場パヴロフスキー・ポサード

ロシアの首都モスクワから東に約70km、パヴロフスキー・ポサードというプラトークの一大生産地があります。

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△市の入り口もプラトーク

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「パヴロフスキー・ポサード・ショール工場」は、1795年から今日まで、職人たちが伝統技術を守りながらも現代的なデザインを取り入れたプラトークを生み出しています。

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プラトークの鮮やかな模様は、一枚ずつ手作業でプリントされています。その手法は「木版印刷」に由来し、今でも職人たちの熟練した技術によって、複雑な模様が正確に再現されています。

 

プラトークの作り方とその芸術性

プラトークの製作には、非常に多くの手間と技巧が求められます。

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まず、デザインを考案した後、そのデザインを布地に染め込む作業が行われます。

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この過程には、 木版染め(木製の版に絵柄を刻み、染料を押し当てて布に転写する技法)やトレーシングペーパーを使って模様を移す技法が多く使われます。

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実際に博物館では、古い木版やトレーシングペーパーの写真も展示されており、それらがどのようにショールに命を吹き込んでいるかを知ることができます。

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デザインを精密にトレーシングペーパーに写し、さらにそれを布地にトレースしていきます。トレーシングペーパーを使うことで、デザインの一貫性を保ちながら、非常に細かいディテールを再現することができるそう。

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ショールの模様に込められた繊細さや、制作にかけられた時間と努力が、このような道具や技法に凝縮されています。

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印象的だったのは、1枚のプラトークに使用される色数の多さ!一つのデザインに30色以上を重ねることも珍しくなく、各色ごとに版を変えて印刷するため、非常に手間のかかる作業です。

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△また、天然素材であるウールやシルクが主に使用され、触れるだけでその柔らかさと高級感が伝わってきます。メリノファインウールは、メリノ種からとれる羊毛で、ほかの羊毛に比べて繊維が細く、吸湿性と通気性に優れているので、サラッとした肌心地で夏でも快適に着用できるうえ、丈夫なのが特徴だそう。

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△20世紀はじめ頃の工場周辺の様子や、

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△職人たちが作業にあたる様子など、貴重な資料も展示されているほか、

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△これまでのレジェンド職人たちの作品も紹介されています。

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△パヴロポサードのショールには、作家の名前とタイトルがつけられているのも特徴で、お気に入りの作家の柄や色合いから世界観を感じられたり、ストーリーを想像して楽しむこともできます。

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△たとえばタチヤナ・パヴロヴナさんのコーナーでは、経歴や受賞歴、そして代表作(「エレジー」や「ベルベット」「ベルベット・ナイト」)などを知ることができます。

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△デザイン分野で傑出した作品を残したエレーナ・ゲルマノヴナさんは、モスクワ国立繊維アカデミー卒業後、勤務をはじめた初日から(!)、非対称などモダンなデザインを生み出していきました。代表作には、「春の息吹」や「ロマンチック」「雪の女王」などがあります。

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ひとつひとつのプラトークには職人の技が光っていて、まさに「生きた芸術」を感じることができます。

後編では工場の外へ・・・パヴロフスキー・ポサードの街のショール博物館やプラトークのお店にもご案内します!

 

 

前編では、創立100周年を迎えたロシア最大の映画会社モスフィルムの歴史と、スタジオツアーの前半部分である博物館内の様子をお伝えしました。後編では、さらにモスフィルムの魅力を探っていきます。

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△広いモスフィルムの敷地内は、映画をモチーフにしたモニュメントや実際に使用されている撮影機材があちらこちらに点在しています。

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△また、「レオニード・ガイダイ広場」など監督の名が冠された住所があったりと、楽しくてキョロキョロしてしまいます。

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△また、数多くのセットがありますが、ツアーでは実際に映画で使用された巨大な屋外セットのなかを散策することもできます。

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この日は、19世紀から20世紀初頭のモスクワの街並みが再現された「古いモスクワの街のセット」と「古いサンクトペテルブルクの街のセット」を見ることができました。

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△観光客はタイムスリップしたかのように、当時の都市風景のなかを自由に歩き回り、まるで映画のワンシーンのような写真を撮ることもできます。

モスフィルムが長年にわたって保持している貴重なカメラのコレクションも見応えがありました。

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△ソビエト時代の映像機器は貴重なもので、映画技術の進化を実感することができました。初めて見るものも多く、ガイドの説明を聞きながら、これらの機材がどのように使われてきたのかを知ることができるのも、映画ファンにとっては非常に興味深いポイントでした。

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△こちらは屋内の教会セット。

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△運が良ければ撮影が行われている現場に立ち会うことができます。

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△実際にカメラが回り、照明や音響、演出、役者の演技が一体となって、ひとつのシーンが作り上げられていく緊張感!

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△モスフィルムのシンボルといえば『労働者とコルホーズの女性』の彫刻です。手に鎌と槌を持った男女はソ連時代の労働者階級と農民の団結を象徴しているそう。1937年パリ万博のソ連パビリオンを飾るために製作されました。

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△モスフィルムの映画はいつも、スパスカヤ塔を背景に『労働者とコルホーズの女性』像を映したオープニングから始まります。1947年のグリゴリー・アレクサンドロフ監督『春』から使われているそうです。

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△ちいさなお土産屋さんには、モスフィルムのマークが入ったグッズやDVDなども。

こうして、ソビエト・ロシア映画の魅力をたっぷりと味わう盛りだくさんのツアーが終了しました。

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△併設のカフェでひとやすみ、映画をテーマにしたメニューもありました。エリダール・リャザノフ監督の映画『職場恋愛』サラダにしようかな?

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ツアーを終えて、改めてロシア映画の魅力ってどんなところにあるかしら、と一緒に参加したメンバーでおしゃべりに花が咲きます。

社会的・哲学的なテーマを深く掘り下げ、魂に響く心理描写で訴えかけ、観客に考える余地を与えるような作品づくり。

商業性エンターテインメントよりも思想の深さや芸術性を優先するロシアらしい詩的な映像美学と音楽。

そしてロシアの歴史や文学を背景にした壮大な規模や、ソビエト時代の生活感を描写したストーリーなど。

今、改めて観たい映画がたくさんあります。

 

今年2024年はロシア最大の映画会社(映画コンツェルン)モスフィルムの創立100周年を記念する年です。

「ロシア文化フェスティバルIN JAPAN」では、モスフィルムから女優のマリヤ・カルポワを招いて詩の朗読と音楽を融合したコンサートを開催、また11月には「モスフィルム100周年記念映画祭」を開催し、2日間にわたって名画と最新作を一挙公開して大好評を博しました。

△モスフィルム公開の記念映像『モスフィルム100

今回はそんなロシア映画ファンにとって夢のような場所であるモスフィルムのスタジオ見学ツアーへご案内します!映画制作の歴史に触れ、映画の舞台裏を知る貴重なチャンスとして、ロシア人にも海外からの観光客にもとても人気があります。

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△場所はモスクワ南西部、モスクワ川を越えてモスクワ大学のある丘の近くです。

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△モスフィルムへ到着!

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△敷地を入ると巨大な看板に「モスフィルム」と書かれた撮影スポットも用意されていました。数々の名作映画がここで誕生し、そして今もこの敷地のどこかで新しい映画が撮影されていると思うと興奮を隠せません!

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△ツアーの始まりは、モスフィルム博物館です。モスフィルムの名作映画の撮影時に実際に使用されていたセットや衣装、映像機材が保存されており、見学者はそれらを間近で見ることができます。

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△クラシックカーがずらりと並ぶエリアや、豪華な衣装が展示された部屋は、ひとつの博物館のように充実しています。

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△「ルスランとリュドミラ」(1972年)で使用された衣装

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△「アンナ・カレーニナ」(1967年)で使用された家具

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ツアーの参加者からも「この衣装が使われた作品は?」「これ、映画の中で見たことある!」など声があがっていました。

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ここで簡単にモスフィルムの歴史を振り返っていきましょう!

モスフィルム最初の長編映画は、1923年11月、当時の所長であったボリス・ミーヒンが監督した『翼で上空へ』という作品で、そのプレミア上映が行われた1924年の1月30日が創立記念日として祝われています。

1920年代当時、レーニン政権下のソビエト政府は、社会主義革命後の思想を広めるための手段として、映画を活用しようと試みていました。革命のメッセージを普及するための教育ツールとして、映画の力は高く評価され、モスフィルムはその重要拠点として設立されました。

1930年代に入ると、ソビエト映画は社会主義リアリズムを標榜し、政治的なメッセージを強く打ち出していました。当時の映画は、労働者や農民の生活を賛美し、革命精神や社会主義国家の建設を称賛する内容が多くみられました。

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△(写真左上)この時期を代表する映画作品には、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の『戦艦ポチョムキン』(1925年)があります。革命前夜のロシアを描いた無声映画で、異なるテーマや場面を対比させた映像でメッセージ性を強める「モンタージュ理論」が確立されました。「階段」のシーンは特に有名で、今も映画を学ぶ学生たちにとっては教科書のような存在なのだそうです。ソビエト映画を国際的に広める重要な役割を果たした映画といえます。

戦後、スターリン時代(1940~50年代)においてもモスフィルムは映画制作を続けました。この時期は、ソビエトの英雄的な物語や、戦争映画が盛んに制作されました。特に、戦争映画や革命映画は、戦争や社会主義の勝利を強調するテーマが多くみられました。

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△『イワン雷帝』で使用された衣装

同じくセルゲイ・エイゼンシュテイン監督の歴史映画『イワン雷帝』は、第1部が1944年に、第2部が1946年に完成しました。16世紀のロシアを舞台に、モスクワ大公からロシア皇帝へと即位し、ロシア国家を統一したイワン4世(イワン雷帝)の人生を描いた映画で、第2部はその内容がスターリン政権下で問題視され、長らく公開が禁止されていました。(その後、1958年になってようやく一般公開されました。)その構図や光と影の対比、象徴的なモチーフを多用したシーンが印象的で、視覚的にも力強さが感じられますが、特に、顔をクローズアップすることで登場人物の心理を効果的に描いています。また、作曲家セルゲイ・プロコフィエフによる音楽も、この映画を一層素晴らしいものにしています。

ミハイル・カラトーゾフ監督の『鶴は翔んでゆく』(1957年)は、第二次世界大戦中のソ連を背景に、革新的で美しいカメラワークや印象的な長回しのシーンを用い、戦争の悲劇のなかで若い恋人たちが味わう絶望と犠牲、そして失われた愛情を描いています。第11回カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを獲得しました。

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△モスフィルム建物内にずらりと並ぶ歴代名監督たちのポートレート

1953年にスターリンが死去し、ソビエト連邦の政治状況が変化すると、モスフィルムは新たな方向性を切り開いていきます。1950年代後半から1960年代にかけては、アート的な映画や実験的な映画が注目されていきます。この時期に活躍したのが、アンドレイ・タルコフスキー監督で、中世ロシアのイコン画家アンドレイ・ルブリョフの人生を描いた『アンドレイ・ルブリョフ』(1966年)を皮切りに『ソラリス』(1972年)、『ノスタルジア』(1983年)、『サクリファイス』(1986年)など、世界中の映画祭でつぎつぎと賞を獲得し、モスフィルムが誇る芸術的な映画作品として名声を確立していきます。

 

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△セルゲイ・ボンダルチュク監督(写真右上)の『戦争と平和』(1966年)はトルストイの名作を映画化し、豪華な映像とスケールでアカデミー賞外国語映画賞を受賞しました 。

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さらに1970年代にかけては、社会的テーマや人間ドラマに焦点を当てるようになり、ウラジーミル・メンショフ監督『モスクワは涙を信じない』(1980年)も、ソ連時代にモスクワで暮らす3人の女性の友情や愛、自己実現に向かう人生を鮮やかに描き、アカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。

エルダール・リャザロフ監督によるロマンチック・コメディ『運命の皮肉、またはいいお湯を!』(1976年)は今も毎年ロシア、新年の時期に放送される伝統的な作品になっています。

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△輝かしい国際映画祭受賞トロフィーの一部も展示されていました。

また日ソ共同制作の映画として、ロシアの探検家ウラジーミル・アルセーニエフの回想録を原作にシベリア奥地で撮影された黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』(1975年)や、アレクサンドル・ミッタ監督、吉田憲二監督、栗原小巻さん主演の『モスクワわが愛』(1974年)などの作品が文化交流の象徴となりました。

1980年代に入ると、冷戦時代の影響を受け、社会主義と資本主義が対立する中で、モスフィルムにとっては国内外のさまざまな政治的な圧力のなかでの映画制作が続きます。

そして1991年、ソビエト連邦の崩壊により、モスフィルムも大きな変革を迎えます。

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△カレン・シャフナザロフ監督の『皇帝暗殺者』(1991年)の衣装

1998年から現在までモスフィルムの社長を務めているのは映画監督のカレン・シャフナザーロフ氏。ソ連からロシアへ移行するなかで経営を立て直し、ロシア映画の復興のために伝統を尊重しつつ、デジタル技術を活用した映画制作や国際的な制作協力にも取り組んでいます。監督としても意欲的に活躍をつづけ、歴史映画 『アンナ・カレーニナ:ヴロンスキーの物語』はロシア文学の名作『アンナ・カレーニナ』を基に、新たな視点から愛と運命を描き、世界中でヒットしました。

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△「ロシア文化フェスティバルIN JAPAN」では2010年に「カレン・シャフナザーロフ監督作品映画祭」も開催し、監督が来日。

今年2024年の「モスフィルム100周年記念映画祭」では、監督の最新作『ヒトロフカ、4ノ印ースタニスラフスキー殺人事件』が上映されたほか、デジタル化された過去の映画アーカイブから名画の数々が選ばれました。

(ツアー後半へつづく)