Archive for the 'いちのへ友里' Category

日本のなかのロシア〜茨城・山下りんの白凛居〜

土曜日, 7月 30th, 2016

ロシア正教で祈りのために描かれる聖像画“イコン”。明治13年、イコン画家になるため、単身ロシアに留学し、日本最初のイコン画家になった女性、山下りんの貴重な遺品を収蔵、展示している白凛居へ行ってまいりました。

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△月に2、3度のみ開館している白凛居。一軒家のなかがギャラリーになっていて、りんの生涯を辿ることができます。

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△(館内写真は公式サイトより転載)

ご自身の履歴のはじめに「生来画を好む」と書いた山下りんは、描くことを求めて、まっすぐに生涯を過ごしました。安政4年(1858年)茨城の笠間に生まれ、15歳のときにもっと本格的に絵を学びたいと家出して上京。明治政府が創設した工部美術学校初の女子学生の一人となり、そのときに学友の勧めでロシア正教に入信。そしてそこで、彼女の運命を変えるニコライ神父と出逢います。

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△東京・御茶の水の東京復活大聖堂は、ニコライ神父の名前をとってニコライ堂と呼ばれています。(過去関連ブログ 日本のなかのロシア〜台東区・谷中霊園〜

日本で正統のイコンを描ける人材を育てたいというニコライ神父の想いを受けて、山下りんは単身ペテルブルグへ渡り、修道院でイコン画を学びはじめます。ロシアへ行けばさらに西洋画を学べるはずだと考えていたりんは、エルミタージュ美術館へ通い模写をするなど自分の憧れている西洋画と、自分が描かねばならないイコン画との表現の違いに悩み、そのうちエルミタージュへの出入りも禁じられてしまい、体調を崩して帰国します。のびのびとした絵画の可能性とは正反対で、自分の作品の証である署名すら禁じられているイコン。帰国後も数年間の葛藤する時期を経て、イコン画家として生きていく決意を固め、今のニコライ堂の一角にアトリエを与えられて、日本全国のロシア正教会のためにイコンを描き続けます。

 

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修業時代の画材、エルミタージュ美術館で模写した絵、ロシア語の格変化が小さな美しい字でぎっしりと書かれた紙、日本全国の教会のイコンの下絵(長いこと誰が描いたのか謎だったイコンも、りんの遺品のなかに保管されていた下絵の存在で明らかになりました)。そして一番逢いたかったのが、イコンを描き続けた山下りんが、その生涯でたった1枚だけ自分のために描き、署名の許されないイコンの裏側にイリナ山下と自分の洗礼名を記して、死ぬまで手元に置きつづけたというイコン『ウラディミルの聖母』。このイコンに込められた画家 山下りんの魂は受け止めきれないほどに深く重いもので、長い間このイコンの前から動くことができませんでした。

 

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ほかにも山下りんのイコンを求めて全国の教会へ訪ね歩いた写真や、これまでの山下りん展の関連品、ニコライ神父の日記など山下りんに関する書籍や研究本、そしてエルミタージュ美術館に収蔵されている山下りんのイコン画の画像など・・・りんの生涯とイコンを深く感じることができます。

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△りんが生きていた頃からあるという庭の奥の2本の樹木。61歳でこの笠間に戻ってきたりんは、白内障を患いもう絵筆をもつことはなかったそうですが、ロシア時代に強くなったのでしょうか・・・毎日二合徳利をもって日本酒を買いにいくのが楽しみだったとか。ここで 静かに穏やかに余生を過ごしたそうです。

 

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このあと、すこし足を伸ばして、梅で有名な偕楽園を散策したのですが、 正岡子規の句碑 「崖急に 梅ことごとく 斜めなり」をみつけ、どんな環境でも与えられた場所で、精一杯に太陽のほうへ枝をのばし葉を茂らせて、長い冬のあとに美しい花を咲かせ実をつける梅の様子に、山下りんの一生を重ねてしまいました。

 

なお、笠間市内の光照寺に山下りんの墓が、笠間日動美術館では作品もご覧頂けます。

『日本のなかのロシア』をさらに詳しくお知りになりたい方には、『日本のなかのロシア』シリーズ全4冊(東洋書店ユーラシア・ブックレット)や、『ドラマチック・ロシア IN JAPAN』1〜3(生活ジャーナル、東洋書店)をご参照ください。

日本のなかのロシア〜修善寺温泉とハリストス正教会〜

木曜日, 7月 28th, 2016

前回のブログでは、夏目漱石の墓もある雑司ヶ谷霊園でロシアを探しましたが、夏休みに少し足を伸ばした修善寺でも、ちょっと面白いロシアとの出逢いがありました。

温泉街を流れる桂川に沿って、小鳥の声を聞きながら竹林の小径を散策していると・・・和の風景のなかで異彩を放つ洋風建築が!

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修善寺ハリストス正教会顕栄聖堂は、顕栄(主の変容)祭を記憶して建てられており、明治45年に成聖されました。ニコライ大主教が病気治療のために修善寺に湯治にいらしたときに、病気平癒を祈願して、70名の信徒と職人によって3ヶ月半という驚異的な期間で完成したと記録されています。このことへの感謝の印として、神田ニコライ堂で預かっていた日露戦争の時に旅順にあった教会のイコノスタス・水晶のシャンデリア・聖母の絵などがこの聖堂に贈られ飾られています。

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また、日本人で初めてイコン画家となった山下りん作の十字架の聖像が内部の聖堂にあります。18メートルの鐘楼を揚げる聖堂内のイコノスタスは、色彩、デザインとも他の日本の正教会ではあまり類を見ないものだそうです。

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また、2004年に伊豆を直撃した台風22号の影響を受け、聖堂と信徒集会所が大きな被害を受けましたが、現在は無事に修復されました。ロシア正教の洗礼を受けたモイセイ河村伊蔵による設計で、昭和60年に静岡県の有形文化財にも指定されています。モイセイ河村伊蔵が設計し、現在国の重要文化財に指定されている豊橋ハリストス正教会聖堂函館ハリストス正教会復活聖堂にも通じるヴィザンチン建築の美しさがあります。今は、月に1、2度、晩祷・聖体礼儀のときに司祭が訪れ内部へ入ることができます。

 

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弘法大師が修禅寺を開山してから栄えてきたといわれる修善寺温泉は、ニコライ大主教が訪れたこともあり、明治時代にはロシア正教の布教が盛んになりました。この修善寺ハリストス正教会は、地元の有力者でありロシア正教の信者でもあった老舗旅館・菊屋当主の発案だったといわれております。

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△明治期より多くの皇族や政財界の要人が宿泊し、明治末期には文豪の夏目漱石が湯治に訪れたことでも知られている湯回廊・菊屋。桂川の上に架かる渡り廊下を抜けて、明治・大正・昭和・平成・・・と時代ごとに異なる建築様式の客間や温泉が回廊でつながっています。

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△胃潰瘍の療養のために、「梅の間」に宿泊した夏目漱石(現在は「漱石の間」として宿泊可能)。また漱石が滞在したというもう一部屋の客室は、現在は漱石庵として公開されているそうです。館内には、漱石が実際に使用した硯や碁盤も展示されていました。

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△菊屋の歴史が紹介されている廊下のむこうには、八角堂と呼ばれる喫茶スペースになっており、サイフォンで淹れたての水だしコーヒーを頂くことができます。

 

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△金庫の上に置かれているのは、大きなアンティークのサイフォン。本棚には、年季の入った漱石全集とトルストイ!実際に漱石の本棚にも、トルストイの小説があったといわれています。また、ロシアの有名高級食料品店「エリセーエフ」家のセルゲイ・エリセーエフ氏は、日本へ留学し東京帝国大学国文科を卒業後に東洋学者になった人物で、留学時には漱石を中心とする文人の集まりである「木曜会」にも出入りしていたそうで、漱石からは「五月雨や 股立ち(ももだち)高く 来る(きたる)人」と署名のある『三四郎』をもらって、これを家宝にして愛読していたといわれています。

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清流の流れを聴きながら、湯上がりに美味しいコーヒー片手に、ゆったりと漱石の世界へタイムスリップ・・・なんて優雅な過ごし方ですね。

さらに、修善寺温泉の中心に位置し、1872年創業の木造純和風建築が、国の文化財にも指定されている老舗旅館新井旅館の創業初代 相原平右衛門氏もロシア正教の洗礼を受けた一人。

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△文豪の泉 鏡花や芥川 龍之介、尾崎 紅葉、幸田 露伴、画家の横山 大観や速水 御舟、川合 玉堂、俳人の高浜 虚子や、役者の初代 中村 吉右衛門、市川 左団次など、数多くの文人墨客が滞在した宿として知られています。

 

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△明治14年にロシア正教の影響を受けて建てられ、客室として使われていたという新井旅館の青州楼。現在は宿泊・公開されていないそうですが、今も変わらず新井旅館のシンボルとなっています。

 

伊豆修善寺温泉 登録文化財 新井旅館 ブログ  「あらゐ日記」のなかには、の当時の貴重なお写真も。

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ほかにも伊豆には、柏久保ハリストス正教会があります。

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この地区で最も古く明治13年に最初の洗礼が行われました。木造茅葺(かやぶき)の小堂から始まり、その後、現在の会堂が明治42年に建立されました。ロシアから送られたイコンと、山下りんの聖像があるそうです。

(内部のお写真と概要は日本正教会HPから、軒下のぶどう飾りのお写真は新井旅館blogから転載させていただきました。)

日本のなかのロシア〜豊島区・雑司ヶ谷霊園〜

水曜日, 7月 20th, 2016

今回は豊島区にある雑司ヶ谷霊園でロシアを探してみましょう。

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ラファエル・フォン・ケーベル博士(Рафаэль фон Кёбер 1848年 - 1923年)は、ロシアのニジニノヴゴロド出身のドイツ系ロシア人で、明治政府のお雇い外国人として来日し、東京帝国大学(現 東京大学)で教鞭をとった哲学者です。幼い頃からピアノの才能があり、モスクワ音楽院では、あのチャイコフスキーやルビンシテインに師事しました。卒業後は、音楽家の道ではなく、ドイツで哲学を学びますが、来日中には、東京音楽学校(現 東京藝術大学)でピアノを教えていたほか、1901年(明治34年)の日本女子大学校(現 日本女子大学)開校式のための『日本女子大学校開校式祝歌』を作曲したり、1903年、日本におけるオペラ初演の際に、ピアノ伴奏を担当したとも言われています。日露戦争から第一次世界大戦への過酷な時期を日本で過ごしたケーベル博士は、晩年にロシア正教からカトリックに改宗したため、その墓にはカトリック十字架が立てられています。

 

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大変学生たちに慕われていたというケーベル先生の教え子のひとりであった夏目漱石は、後年に随筆『ケーベル先生』を著しています。小説『こゝろ』のなかで先生が墓参りに通う舞台にもなっている雑司ヶ谷霊園には、そんな夏目漱石のお墓もあります。

来日中に、ケーベル博士の専属料理人を務めていたのが、千代田区神田 淡路町の西洋料理店「松栄亭」初代店主の堀口岩吉氏でした。当時、駿河台のケーベル邸を訪れた夏目漱石は、ここで御馳走になった“洋風かき揚げ“をいたく気に入り、初代が開店する際にメニューに加えたといわれています。創業明治40年からの古き良き時代の味は、今も看板メニューとして愛され続けています。

 

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△お写真は『神保町へ行こう』より転載)

 

 

なお、『日本のなかのロシア』をさらに詳しくお知りになりたい方には、『日本のなかのロシア』シリーズ全4冊(東洋書店ユーラシア・ブックレット)や、『ドラマチック・ロシア IN JAPAN』1〜3(生活ジャーナル、東洋書店)をご参照ください。

日本のなかのロシア〜下田・日露和親条約が締結された長楽寺〜

火曜日, 6月 28th, 2016

雨上がりの紫陽花が風情を醸し出している伊豆・下田のペリーロードを歩いてきました。ペリー来航により日米和親条約が締結され、下田と函館の2港の開港が決まりました。即時開港したのが下田で、日本で最初に開港した港町として知られています。

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小径を通って、日露和親条約が調印された大浦山 長楽寺へ。

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安政元年(1854年)、この長楽寺において、日本全権 筒井政憲・川路聖謨とロシア使節海軍中将プチャーチンとの数回におよぶ交渉の結果、日露和親条約(日露通好条約)が締結されました。ロシアとの交渉が始まった時、安政東海地震による津波で下田の街は大きな被害をうけました。下田港に寄港していたロシア艦船ディアナ号が沈没してしまったのもこのときです。交渉は一時延期となり、本来予定されていた場所から、高台に位置して被害の少なかった長楽寺に変更されて、締結に至ったそうです。

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これによって、国境が定まり、択捉・国後・歯舞・色丹は日本領に、千島列島はロシアに属し、樺太については日露両国人の雑居をみとめることになりました。(日露和親条約が締結された2月7日は、1981年から「北方領土の日」と定められています。)また安政2年(1855年)、先に締結された日米和親条約批准書の交換が、この長楽寺においておこなわれました。

 

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装飾の美しい真言宗の長楽寺の本堂へ。

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△ お釈迦様の足のうえに、自分の足をのせることができます。

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境内には6角形の宝物館(資料館)が2つあり、受付で入館料を支払って入ります。片方はロシア関連のコレクションになっていました。

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薄暗い室内に並ぶコレクション。係の方がご丁寧にひとつひとつ説明をしてくださいます。

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プチャーチン提督の胸像。手前が日本人が作成したもの、奥のレリーフがロシア人作成のもの。少し表情に違いがあって興味深いです。

 

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日露和親条約の批准書の墨筆の日本語正文(複製)もありました。国境画定を示す第二条が見開きになっています。

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ソ連時代から寄贈されてきた時代を感じさせるロシア雑貨の贈り物も展示されていました。

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かつては毎年のように、在日本ロシア大使館の方がご挨拶にみえたり、ロシアからの留学生グループを迎えたりしていたそう。

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突然の土砂降りの雨のなかを長楽寺に駆け込んだのですが、こちらで雨宿りしながら拝観しているうちに霧雨となり、みるみる信じられないような青空が広がりました。記念にとお守りを頂いて、後光のさす長楽寺を後にしました。

 

過去関連ブログ

記念展の舞台裏!戸田造船郷土資料博物館へ 〜前編〜

日本とロシアの交流のはじまり!戸田造船郷土資料博物館 〜後編〜

 

日本のなかのロシア〜北区・染井霊園〜

月曜日, 5月 23rd, 2016

今回は、豊島区にある染井霊園でロシアを探してみましょう。園内には染井の地が発祥と言われているソメイヨシノ約100本があり、桜の春はもちろん四季折々の美しい並木道をつくっています。

この墓地のすぐ隣には、かつて東京外国語大学の西ヶ原キャンパスがありました。そしてロシア語科を卒業した作家の二葉亭四迷のお墓もここにあります。ロシア語科に入学した学生は、最初の授業で教室を飛び出し、皆でこの偉大な大先輩のお墓にご挨拶に伺うというのが恒例でもありました。
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△本名である長谷川辰之助之墓と記されています。
ロシアの南下政策から国を守るために敵の国情を知ろうとロシア語を習得する過程でロシア文学に出逢い、当時まだ未熟だった明治文学に理論的支柱を与えることになった『小説総論』や言文一致体で執筆された小説『浮雲』を発表。さらに、ツルゲーネフ『あひゞき』『めぐりあひ』などを翻訳しました。文学者としてはもちろん、朝日新聞の特派員としてロシア・ペテルペテルブルグへ赴くなど、終生政治的関心も持ち続けました。(『日本のなかのロシア』より)

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染井霊園には、土方与志生誕100年を記念して建立された墓碑もあります。土方与志は、築地小劇場を開設し、数多くのロシア作品を上演、その後ソ連の革命劇場にも勤務し、帰国後はロシア演劇理論の翻訳や若い演劇人の育成に尽力して、のちの青年劇場の土台づくりをしました。染井霊園には土方与志の右腕として活躍した舞台衣装家の梅子夫人とともに眠っています。
さて、桜の名所として名を連ねる日本の墓地ですが、一方で森のように緑が溢れるロシアの墓地も覗いてみましょう!

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モスクワの観光名所のひとつでもある Новодевичье кладбище(ノヴォデヴィチ墓地)は、ひとつひとつのお墓が彫刻のようユニークで、詩が刻まれていたりするのでお散歩を楽しむ人も多い場所です。

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ここにはロシアで尊敬され愛されているたくさんの文化人・著名人が眠っています。まるでその人を象徴するようなお墓は、どれもこれも綺麗に手入れされ、お花でいっぱいです。

 

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△文豪ゴーゴリ

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△アヴァンギャルドな作風で知られる詩人マヤコフスキー

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△作曲家ショスタコーヴィチ

 

 

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△サーカスの道化師ユーリー・ニクーリン。
今でも彼の名を冠したニクーリン・サーカスは大人気!
たくさんの動物に囲まれていて今にもサーカスが始まりそう。

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△バレリーナのウラノワはお墓まで美しい・・・!

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△エリツィン初代ロシア大統領
ロシアの国旗がモチーフになっていてとにかく大きい!

ロシアへいらっしゃったらぜひ訪れてみてくださいね。

 

なお、『日本のなかのロシア』をさらに詳しくお知りになりたい方には、『日本のなかのロシア』シリーズ全4冊(東洋書店ユーラシア・ブックレット)や、『ドラマチック・ロシア IN JAPAN』1〜3(生活ジャーナル、東洋書店)をご参照ください。

 

 

 

日本のなかのロシア〜台東区・谷中霊園〜

金曜日, 4月 29th, 2016

桜色から若葉色へと日本列島が美しい春のグラデーションを見せています。日本からモスクワの植物園に贈られた桜もちょうど今、見頃を迎えているそうです。

この春、ロシア文化フェスティバル IN JAPAN事務局には、まさに“サクラサク”ような嬉しいニュースも届きました。昨年の登録ブログラムのなかでも大きな注目を集めた舞台『信長-NOBUNAGA-』の作・演出・振付・出演をはじめとする、1年間の様々な活躍が認められ、藤間蘭黄さんが「平成27年度(第66回)芸術選奨文部科学大臣賞」を受賞されました。さっそく事務局へご報告にいらしてくださった藤間蘭黄さんの喜びの声も、また機会がありましたらぜひご紹介出来たらと思います。(過去関連ブログ;奇跡の『出逢い〜Встреча〜』こちら

さて今回は、GWにもオススメの日本のなかのロシアをご紹介したいと思います。

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桜の名所としても知られる谷中霊園。ここには、日本においてロシア正教会の創建者と言われるНиколай Касаткин(ニコライ・カサトキン)が眠っています(霊園案内図 乙2号 新1側)。

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ニコライ・カサトキン司祭は1861年に来日、それから1912年に永眠するまでずっと、その生涯を日本全土での正教の伝道に捧げました。御茶ノ水には日本正教会の首座主教座大聖堂である東京復活大聖堂教会がありますが、ここはニコライの名をとってニコライ堂と呼ばれています。その功績が広く世界に認められて、日本最初の聖人として列聖されています。

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柵で囲まれた敷地の入り口の門には鍵がかけられていますが、事務所にお願いすると鍵を開けてもらうことが出来ます。ロシア正教信者の方がお参りにいらっしゃることも多いそうです。

 

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ロシアでは春を代表する花として愛されている黄色いミモザが供えられ、墓前は灯りがともっているようでした。

また、谷中霊園には、元駐ソ連大使の佐藤尚武の墓(霊園案内図 乙10号 11側)もあります。彼は、第二次世界大戦の際、ソ連との関係を維持し、日ソ間が戦火を交えることのないよう、ポツダム宣言の早期受諾を進言しました。

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付近には寺院も多く、玉林寺に幕府のロシア語通訳村上貞助の墓が、大正寺にプチャーチンと交渉した幕府全権・川路聖の墓もあります。

またこの時期、下町散歩を楽しむ観光客も多い谷根千(谷中・根津・千駄木)には、つつじ祭りや紫陽花祭りなど花を愛でることができる名所もあります。

 

そして、ちょっと疲れたらこんなひとやすみはいかがでしょうか。大正の頃からほとんど変わらない佇まいの町屋を使い、昭和13年に創業した「カヤバ珈琲店」では、昭和の風情と味をそのまま残した喫茶店内で、珍しい飲み物をお楽しみ頂けます。

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コーヒーフロートやミルクセーキなど、喫茶店の定番メニューのなかでも一番人気だというルシアン(Russian)という飲み物。

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コーヒーとココアを半分ずつブレンドした飲み物で、懐かしいような優しい甘さがほっとさせてくれます。なぜルシアンと名付けられたのかは・・・先代しかしらない迷宮入りの謎なのだそうです。

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台東区のロシア、ぜひ見つけてみてくださいね。

 

なお、『日本のなかのロシア』をさらに詳しくお知りになりたい方には、『日本のなかのロシア』シリーズ全4冊(東洋書店ユーラシア・ブックレット)や、『ドラマチック・ロシア IN JAPAN』1〜3(生活ジャーナル、東洋書店)をご参照ください。

 

弦楽と合唱による2016ニューイヤー演奏会、そしてシベリア芸術フェスティバル IN JAPAN 2016!

日曜日, 3月 13th, 2016

いよいよロシア文化フェスティバル IN JAPANの2016年パンフレットも完成し、オープニングを前に、すでに登録プログラムが進行しております。1月末には浜離宮朝日ホールにて、弦楽と合唱による2016ニューイヤー演奏会が大成功をおさめました!

 

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曲目は、現代のロシア正教会で多大な尊敬を集めているアルフェエフ(イラリオン府主教)作曲の『マトフェイ受難曲』(2006年作曲)です。「マトフェイ」は、私たちが普段耳にするイエス・キリストの十二弟子のひとり「マタイ」の、ロシア正教会の表記です。新約聖書の「マタイによる福音書」の、キリストの受難を題材にした『マタイ受難曲』は、J・S・バッハ作曲のものが有名で、日本でもたびたび演奏されていますが、イラリオン府主教による『マトフェイ受難曲』が日本で演奏されたのは、今回が初めてのことでした。

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3歳からピアノ、6歳からヴァイオリン、12歳から作曲をはじめ、モスクワのグネーシン特別中等学校とモスクワ音楽院で学んだというイラリオン府主教。それから一旦は音楽を捨てて修道院へ入り、モスクワ大学神学部を卒業して聖職の道を選びました。それから20年を経て、作曲を再開したイラリオン府主教にとって初の大作です。男性合唱のみで構成されるロシア正教の聖歌とはまた違い、祈りの言葉が音楽的な響きをもって人々の心を癒していきます。器楽や混声合唱、語りも加わってハリストス(キリスト)の受難と人類への愛と祈りが紡ぎ出されていくのです。ロシア留学時代にこの傑作に出逢い、心酔したのが、当時モスクワ音楽院で指揮を学んでいた渡辺新さんです。「楽曲が持つ美しさと清らかさをロシア正教徒だけにとどめず、世界中で分かち合いたい、いつか日本でも上演したい!」との熱い想いを胸に、5年をかけて準備をすすめていらしたそうです。ロシア・北欧の知られざる名曲を発掘・紹介する「オーケストラ・ナデージダ(希望)」を率い、また合唱団ナデージダを結成して、ついに今回の日本初演が実現しました。日本では珍しくすべてロシア語の歌詞で上演するという意欲的な試みでもありましたが、聴衆からはつぎつぎに再演を望む声が寄せられています。

 

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そして6月には注目のオープニング関連プログラムが目白押しです。ロシア文化フェスティバル IN JAPANの10周年を記念して、これまで初の試みとしてシベリアに特化し、ロシアが誇る世界的ヴァイオリニストのワジム・レーピンと、その妻でありマリインスキー劇場とボリショイ劇場というロシア二大バレエ劇場でソリストを務めてきたスベトラーナ・ザハロワの夢の競演『シベリア芸術フェスティバル IN JAPAN 2016 パ・ド・ドゥ for Toes and Fingers』をお楽しみ頂きます。

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日本でも絶大な人気を誇るワジム・レーピンが生まれ、18年間暮らした故郷のノヴォシビルスクで芸術監督を務める”Транссибирский Арт-Фестиваль“(トランスーシベリア芸術祭)。プーチン大統領をはじめ多くの著名人に支持され、世界中から多彩なゲストを招いて2014年から開催されています。

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このフェスティバルには、これまで日本からも芸術家が参加しており、1990年に史上最年少でチャイコフスキーコンクールで優勝したヴァイオリニストの諏訪内晶子や、9歳でロシア国立ノヴォシビルスク音楽院付属音楽学校に留学し、ワディム・レーピン基金奨学生として現在もノヴォシビルスクを基盤に活動している田中杏菜、そして今年は、曽祖父・服部良一、祖父・服部克久、父・服部隆之という音楽名門一家に生まれ、5歳でヴァイオリンをはじめ8歳から名教師ザハール・ブロンに師事するという、ワジム・レーピンと同じ経歴を持つ新星ヴァイオリニストの服部百音が登場します。レーピンは、開催当初からフェスティバルを世界へ展開したいと願っており、ついにここ日本で、ロシア文化フェスティバル IN JAPANの枠内で実現することとなりました。レーピン&諏訪内&マイスキー&ルガンスキーの豪華競演など、いずれも聴きのがすことができません。

 

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△公式サイトはこちら。 サイト内О Новосибирскеでは、ロシア第3の都市といわれるノヴォシビルスクについても紹介されており、動画もご覧頂けます。

ほかにも、毎年夏のお楽しみのボリショイサーカスや、創立150周年を迎える国立モスクワ音楽院室内合唱団出演によるロシア音楽祭(民謡合唱団+民族楽器+民族舞踊)も予定されており、今年も見どころ満載です!2016年もロシア文化フェスティバル IN JAPANとともに、今ここでしか出逢えない感動のひとときに立ち会いましょう!

 

 

参考;Christian Today Co., Ltd.

 

ロシア大使館 新春バレエ・ガラ、今年も!

月曜日, 2月 1st, 2016

昨年につづき今年も開催された、イリーナ・ペレン&マラト・シェミウノフ(ミハイロフ劇場 プリンシパル ダンサー)新春バレエ・ガラ コンサート。(主催 NPOちきゅう市民クラブ、K&Asociates International)

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ロシア大使館の大広間で、そのサブタイトルのとおり“夢のような至福のひと時を“過ごすことが出来ます。

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ロシア正教の暦では新年1月7日にクリスマス、それから旧正月を迎えますから、館内はまだクリスマスツリーを飾ってお祝いムード。ライトアップされた大使館敷地内では、大きなツリーのように東京タワーがきらめきます。

 

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首都のパノラマを描いたツェレテリ作の銅版画『首都モスクワ、我がモスクワ』を背景に、シャンデリアの合間を泳ぐように高いリフトで魅了したイリーナ・ペレン&マラト・シェミウノフ。普段の舞台ステージとは違い、すぐ目の前で、ロシアが誇る世界のトップダンサーの圧倒的なオーラに包まれるのがこのコンサートの醍醐味。その鍛え抜かれた肉体、洗練された動きのひとつひとつ、醸し出す優雅な雰囲気・・・なにもかもがこの世のものとは思えない究極の美しさで、お二人が登場するたびに空気が変わり、熱いまなざしと期待感で客席の温度が急上昇します。

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コンサート後にはロシア料理を囲んでパーティもあり、出演者の皆様とお話したり一緒に写真を撮ることもできます。私服姿も素敵なイリーナ&マラトの周りには長蛇の列が・・・!サービス精神旺盛に優しい笑顔で気さくに応じてくれるお二人の人柄に、皆さらにファンになってしまいます。

マラト&イリーナ「ロシアと日本は今までずっと文化・ビジネスを含めあらゆる分野で友好関係にあり、またパートナーでもあります。この友愛・協力関係を継続していかなければなりません!日本の観客は洗練されていていつも温かく迎えてくださり尊敬しております。そんな日本の皆様の前でバレエを披露出来て大変光栄です。」

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△『火祭りの踊り』では劇的なクライマックスまで燃え盛る炎のようなパッションと超絶技巧を披露したピアニスト斎藤雅広さん。「ポーランドに住んでおりましたので、ロシアには音楽もお料理もとても親しみを感じています。私たちはもちろん、特に若い世代には、音楽を通してもっと気楽に国際交流を楽しんでほしいものです」

 

 

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△ロシアの春の花ライラックを歌ったラフマニノフ作曲の『リラの花』ではその甘やかな歌声で会場を包みこんだソプラノの関森温子さん。ロシア歌曲を心から愛し、歌いつづける歌手のおひとりです。会場ではロシア人からも多くのブラボー!が寄せられていました。

 

 

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チェロのドミトリー・フェイギンさん&ピアニストで奥様の浩子 新見フェイギンさん「両国の関係をよく知るためには、お互いの文化の関係を知るべきです。両国の芸術家たちが行き来することが大切なのです。今晩は、イリーナと、そしてお客様と、一体になれる特別な喜びの瞬間がありました。」

 

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ロシア留学でバレリーナとして輝きはじめた若きダンサーたちも出演!「まさに以心伝心で息のあったふたりが踊ると、難しいものも難しくみえない・・・!」と尊敬をこめて語ってくださった武藤桜子さんと妹尾矢弥子さん。

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△「昨年はイリーナが踊ったロシアの踊りを今年は自分が踊る機会を頂けるなんて・・・と感無量の様子の柴山万里奈さん。ロシアを拠点に活動していきたいと夢を語ってくださいました。

 

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会場では、イリーナ・ペレンデザインのTシャツや衣装バッグなどの貴重なグッズや、ロシア人写真家Ekaterina Kravtsovaが撮影したイリーナのアート写真“白のバリエーション”なども、展示販売されていました。

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パーティ会場では、大使館の専属料理人によるロシア料理やウォッカが振る舞われ、ロシアのキルト作品が飾られた一角にはロシアの雑貨やお菓子が販売されるなど、ロシアを五感で満喫出来る夜となりました。

 

2016年展望を長塚英雄事務局長に新春インタビュー!

木曜日, 1月 21st, 2016

皆様、明けましておめでとうございます。今年のロシア文化フェスティバル IN JAPANもどうぞよろしくお願い申し上げます。

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さっそくですが、長塚英雄 日本組織委員会事務局長に、2016年の展望をお話頂きましょう。

―新年おめでとうございます。まずは2016年に際しての抱負をお聞かせ下さい。

長塚――日本、ロシア、日ロ関係をめぐる国際情勢も複雑で厳しいものがありますが、「日本におけるロシア文化フェスティバル」はさまざまな情勢の影響をうけつつ、10周年を迎えることが出来ました。あわせて、1956年の日ロ国交回復60周年、ソ連崩壊から新生ロシア誕生25周年でもありますので、両国政府・自治体・各界の皆様とともに、大勢の市民の皆様とともに、心に響く芸術の楽しいひとときを過ごしたいと存じます。

 

-めまぐるしい国際情勢のなかで、ロシア文化フェスティバルにも少なからぬ影響があると思いますが。

長塚――ご承知のように、イスラム国(IS)の非人道的なテロと軍事行動、サウジアラビアとイランをめぐる危険な中東情勢、地球温暖化によるさまざまな自然災害、改善されない貧困・飢餓・貧富の格差拡大など地球上の諸問題は渦を巻いています。ロシアは原油安、ウクライナ問題対ロ制裁、ルーブル下落で財務省は困難に直面しています。そのような状況下で各国でも開催されていたロシア文化フェスティバルはほとんどがなくなりました。日本は、昨年、引き族き「2017-2021開催協定」を両国代表により調印され継続を宣言することができました。こうした文化交流の努力が世界平和と日ロ両国の懸案解決・関係発展に実る事を祈念するばかりです。双方の関係者は国家予算だけでなく、企業の文化支援をお願いし、ガスプロム銀行、ショジエフ国際財団などの協力を得てきました。ロシアに進出する日本企業の参加もお願いします。

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-昨年までのフェスティバルについてはいかがでしたか。

長塚――2005年の準備期間を経て、2006年にスタートし2015年までの10年間に1320万1900名がフェスティバルの行事にご参加いただきました。昨年は40都道府県92市区町村で開催され、来日したロシア人芸術家・専門家は898名にのぼりました。来日したロシア人芸術家が多かったのはバレエ団やオーケストラが多かったからです。これまで、両国首脳からたびたび祝賀メッセージがよせられましたし、皇后陛下美智子さま、皇太子殿下徳仁さま・愛子内親王殿下、高円宮妃久子殿下もご出席され鑑賞いただきましたことを大変嬉しく思います。

10年間継続できた要因は、政府外務省の指導、京都・大阪・新潟・北海道(函館)など地方自治体の協力、ロシア芸術家を招聘する企業・団体・個人の参加と尽力があげられます。

もちろん、ロシア政府文化省・財務省・外務省、ロシア文化フェスティバルロシア組織委員会、ロ日協会、INARTEXなどロシア側の尽力が大きいことはいうまでもありません。

 

―注目の2016年のオープニングはどのような形でおこなわれるのでしょうか。

長塚――ことしのオープニングは、6・7月におこなわれます。オープニングの行事として、ワジム・レーピンとスヴェトラーナ・ザハロワを中心とするシベリア芸術祭、ボリショイサーカス(7月16日=東京体育館)、国立モスクワ音楽院創設150周年記念・モスクワ音楽院室内合唱団招聘によるロシア音楽祭(7月23日=新宿文化センター)、そして記念レセプション(6月18日=駐日ロシア大使館ホール)の4本を挙行します。シベリア芸術祭は、6月17日(金)サントリーホールで開催され、すでに、S・E・ナルイシキン国家院議長を団長とするロシア政府代表団が6月16日に来日することが決定されています。

-毎年たくさんの芸術プログラムを用意して楽しませてくださいますが、今後とも健康に留意され活躍されます事をお祈りいたします。

長塚――ありがとうございます。ロシア経済の回復、日ロ関係の前進を願いながら、①すぐれたロシア芸術の紹介、②昨年のようなロシアバレエと日本舞踊のコラボにみる創作、そして③市民参加の行事、を基調に明るく楽しく推し進めたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻をお願いします。

 

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また、2016年のロシア文化フェスティバル IN JAPAN日本組織委員長には、自由民主党の副総裁であり元外務大臣の高村正彦氏が就任することが発表されました。高村氏は1月10日〜13日までロシアに滞在し、セルゲイ・ラヴロフ ロシア外相およびロシア文化フェスティバル IN JAPANロシア組織委員会委員長でもあるセルゲイ・ナルイシュキン国家院議長と懇談。両氏から就任に関してお祝いの言葉を頂いたそうです。ロシアのクラシック音楽の愛好家としても知られ、夫人と共に様々なコンサートに足を運んでいる高村氏はまた、日ロ友好議員連盟会長を務めており、2014年には日露武道交流年の枠内で、団長としてモスクワを訪問しています。

公式プログラムの発表は2月1日を予定していますのでご期待下さい!

 

古事記 天と地といのちの架け橋

火曜日, 12月 15th, 2015

レオニード・アニシモフ氏が芸術監督を務める東京ノーヴィ・レパートリーシアターが能楽堂で『古事記 天と地といのちの架け橋』を上演しました。

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〜俳優と観客は、樹木のように成長し、時代の森をつくる。21世紀を芸術と文化の時代にするために、200年後の未来のために、今演劇という私たちの仕事でできることは、“時代の森“をつくること。〜魂の糧となる演劇の創造を目的に、ロシア功労芸術家レオニード・アニシモフ氏を芸術監督に迎えて、質の高いロシア式の演劇スタイルを日本で確立してきた東京ノーヴィ・レパートリーシアター。本格的なスタニスラフスキー・システムに基づいてリアリズム演劇を実践し、ロシアでは一般的なレパートリー・システム(日本やアメリカなどで一般的な、ひとつの演目をさまざまな劇場で一定期間上演するロングラン・システムに対し、劇場専属の劇団が、毎日レパートリーのなかから演目を変えて上演するスタイル)を取り入れ、チェーホフ、ゴーリキー、近松門左衛門、宮沢賢治、シェイクスピアなどの傑作を東京・下北沢を拠点に毎週上演してきました。

「今回の作品は、文化の融合・結合です。ロシア文化フェスティバル IN JAPANのような機会では、文化の融合が重要であり、自分の周りでは“メタ文化“と呼んでいます。本日の観客の反応を見ると、そのような深い文化の融合、すなわち、ロシア文化と古事記の深いレベルの融合が感じられました。」

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〜わたしたちは どこから来て、何を目指すのか?日本人の心のルーツである物語・古事記。その太古から口づてに伝承された神話を いま、生きた感情で、現代の<儀式>としてよみがえらせます〜

練られた複雑なストーリーを追ったり音楽や美術などのめくるめくエンターテイメントに驚嘆したり・・・といった舞台とは違い、無心でただ五感で感じるような不思議なひとときでした。役者たちがそれぞれ演じるのは、八百万の神々なので、舞台上で微笑む神様たちと対峙して空間に酔うような、それはまさに神社仏閣で祈祷をうけているような感覚を覚えました。

https://www.youtube.com/watch?v=RJVkyJr_lks

△アニシモフ氏の貴重な講義や稽古風景などもご覧頂ける東京ノーヴイTVこちら

 

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「この作品は、2011年11月11日のドストエフスキーの生誕を祝った日の後に、仲間たちと話しているなかで『古事記』の名前がたまたま出たところから話が始まりました。その後2年間、多くの翻訳を読むなど研究して、そして2年間の稽古を重ねました。その結果、我々の東京ノーヴィ・レパートリーシアターの俳優は勇敢になり、人間らしくなりました。」

豊かな土壌で育まれた樹木がその枝葉を伸ばして森が拡大していくように、海外からの研究者の受け入れや芸術家育成のためのアカデミー運営、国際文化交流にも積極的に取り組み、古典に挑む東京ノーヴィ・レパートリーシアターは、今後『源氏物語』にも挑戦するそうです。毎日の生活の中で自然と目に耳に入り通り過ぎていく種類の文化・芸術とは違い、古典作品は私たちの身体の奥深くに眠っている誰もが魂を揺さぶられる何かを秘めています。それは手を伸ばさなければ、出逢うことは出来ません。ロシア文化フェスティバルで上演される素晴らしいプログラムを通して、そういう体験を繰り返して生きていきたいものです。