Archive for 12月, 2012

2012クロージング・レポート~能楽師・人間国宝 坂井音重さん~

金曜日, 12月 21st, 2012

能楽師で人間国宝、さらにロシア文化フェスティバル組織委員としてもご活躍いただいている坂井音重様に、日本側を代表してご挨拶をいただきました。

凛として美しいその立ち姿からは他を圧倒するオーラを感じます。

「私は2003年の日露文化交流のフィナーレにおいて、モスクワのボリショイ劇場とサンクトペテルブルグのマリンスキー劇場で、能を演じました。日本の伝統文化である能を通して、多くの友人ができました。それは、ダイヤモンドにも勝って輝く私の心の宝だと思っております。これからもこの宝が大きく広がってゆくことを願ってやみません。

文明は、決して人間の幸せとは限らない進化をすすめていますが、文化は人を豊かにし、心を和らげ、人を幸せにするものです。

日本には、千数百年の日本人の心の文化があります。一方で、今日のクロージング・コンサートもそうでしたが、ロシアのオーケストラの演奏にはいつも魂を揺さぶられます。これは、同じ人間として、大切な同じ基盤を有しているということです。

来年2013年に8回目となるこのフェスティバルがますます広がりを見せ、さらに両国が親しくなることを願ってやみません。」

いちのへ クラシック音楽もとてもお好きだと伺いました。

「ええ、ロシアの作曲家も大好きです。今日は、日本でも愛されているチャイコフスキーの作品ばかりでしたが、美しい音の響きだけでなく、何かを語りかけているような演奏でした。」

いちのへ 日本とロシアの文化、伝統芸能に通じる素晴らしさはどこにあるとお考えでしょうか。

「ひとつには、技術のレベルが高いこと、もうひとつは、それを発信する人間の心の力でしょう。」

いちのへ 未来へ一言お願いいたします。

「世界が、文化で、ひとつになり平和になること。それが我々が共有する心のあり方ではないでしょうか。」

ひとつひとつのお言葉に、そして常に気品漂う丁寧な物腰に、会場が魅了されました!

2012クロージング・レポート~ミハイル・シュビトコイ ロシア連邦大統領文化特別代理~

木曜日, 12月 20th, 2012

ロシア側を代表し、はるばるモスクワから駆け付けてくださった
ミハイル・シュビトコイ ロシア連邦大統領文化特別代理。

大きな温かい手を広げて握手すると
ユーモアたっぷりにご挨拶。

「はるばる、なんてことはないんですよ。
ロシアと日本はとても近いんです。
今も親しい親戚と一緒にいるような気持ちです。
1年に数回ではありますが、このように親しい友人たちと会える機会があるのはとても幸せなことです。

ただひとつ、ロシア文化フェスティバル in JAPAN実現のためにご尽力なさった日本組織委員会副委員長の東道輝氏(ボリショイサーカス取締役会長)が、この場にいらっしゃらないことだけが残念でなりません。どうして素晴らしい人物ほど早く天に召されてしまうのでしょうか……。

これから私たちロシア人と日本人は、一緒に歌舞伎や能などの舞台をみて、日本の車に乗ってロシアのガスを使い…というような生活ができたらと思うのです。
最後に、まもなくやってくる新年、そしてクリスマスのお祝いを申し上げるとともに、皆様に大きな幸せと喜びが訪れますように!ロシアと日本の友好関係が続きますように!」

素敵な未来予想図でご挨拶を締めくくって下さったシュビトコイ氏。
そしてそんな未来を天国から温かく見守ってくださるであろう東道輝氏のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

2012クロージング・レポート~ソリスト ニキータ・ボリソグレブスキーさん~

水曜日, 12月 19th, 2012

日本でも人気の高いヴァイオリン協奏曲で
クロージングコンサート会場を感動の渦にした
ソリストのニキータ・ボリソグレブスキーさん。

クロージングパーティ会場でも、その優しい笑顔で
女性ファンの写真撮影攻撃に合っていました。

いちのへ コンサートの手ごたえはいかがでしたか?
ボリソグレブスキー 個人的にはとても気持ちよく演奏できました!お客様がとても温かく、オーケストラも素晴らしく、全体として本当に素晴らしかったと感じています。今日ここで演奏出来たことを本当に嬉しく思います。

いちのへ 日本は初めてですか?
ボリソグレブスキー いいえ、3度目です。東京は初めてなんですけれどね。大阪やいくつかの都市には行ったことがありますよ。

いちのへ 日本にいらっしゃる前と後で、印象はどんな風に変わりましたか?
ボリソグレブスキー 友人たちや他の音楽家たちから、音楽家にとって日本は素晴らしい場所だと聞いていました。良いコンサートホールがたくさんあるし、スタッフもお客様も温かく迎えてくださるし、ホールはいつも満員だし、とね。これは本当にその通りで、音楽家にとってとても嬉しいことです。私は日本の文化や生活が気に入っています……(突然、日本語で)日本食が大好き!

いちのへ どんな日本食がお好きなんですか?
ボリソグレブスキー (日本語で)しゃぶしゃぶ!さしみ!(ロシア語)どれも新鮮で・・・(日本語)おいしい!あともちろん、酒もね!

いちのへ いろいろ召しあがったんですね(笑)。さいごに、日本の皆様にメッセージをお願いします!
ボリソグレブスキー 幸せが多く不幸が少なくありますように!日本の皆様には、地震に関連して悲しい出来事がいろいろありましたからね。どうか日本と日本の皆様に、来年はポジティブなことがたくさん訪れますように!

2012クロージング・レポート~指揮者ユーリー・シーモノフさん~

月曜日, 12月 17th, 2012

気迫溢れる熱いコンサートでクロージングを飾ってくださった
モスクワ・フィルハーモニー交響楽団主任指揮者
ユーリー・シーモノフさんからのご挨拶です。

「会場に足を運んでくださった方に、心からの感謝を申し上げます。
今朝、PCを見て気付きました。
(…と言って数字がたくさん書かれた紙を取り出す)

なんと私が日本を訪れたのは、すでに17回目になります。
初めは42年前、1970年の大阪万博のことでした。
当時、まだ私はまだ若く、今はなきソ連のボリショイ劇場の主任指揮者として、
オペラ『ボリス・ゴドノフ』と『イーゴリ公』を振りました。
1972年にはバレエ団と共に来日し、ロシアの誇るバレリーナである
マイヤ・プリセツカヤ演じる『アンナ・カレーニナ(シチェドリン作曲)』を振りました。
その後も、N響との競演などを含めて38都市を訪れ、
ここ東京では50回も指揮棒を振りました。
今日皆様にお聴きいただいたオーケストラ、
モスクワ・フィルハーモニー交響楽団と初めて日本で公演したのも、実は1981年のこと。

こんなふうにたくさんの歳月にまつわる数字を述べましたが、
つまりこうした経験のおかげで日本を知ることができ、日本文化を感じることができ、
礼儀正しく勤勉な日本の人々を愛するようになりました。」

ブログをご覧の方に、一言お願いします!

「まもなく新年とクリスマスがやってきますが、
どうか日本の皆様が、戦争がなく、地震もなく、感染症や津波もなく、幸せでありますように……!
そして、素晴らしい音楽を聞くことができますように!」

舞台裏では、
鬼気迫るリハーサルでの表情と
指揮棒を日本刀に見立てておどけるお茶目な姿、
その両方で私たちを魅了したマエストロなのでした!

エニセイの朝焼け 4~ダイジェスト~

水曜日, 12月 5th, 2012

今回は残念ながらステージを観ることができなかったというあなたに!

エニセイの朝焼け 3~ゴルロフ芸術監督インタビュー~

日曜日, 12月 2nd, 2012

クラスノヤルスク民族舞踊団「エニセイの朝焼け」
イーゴリ・ゴルロフ芸術監督にインタビューしてみました!

いちのへ 舞踊団をどのように評価していらっしゃいますか?
ゴルロフ 民族の伝統を魅せており、舞踊団としてはとてもいいと思います。他のどの国にもある永遠のテーマですが男女の恋愛はもちろん、我々の祭りに見られる民族の遊び(例えば、若い男性の殴りあいとか、昔田舎で踊ったステップとか)を魅せています。もちろん、舞台上で踊りとしてお見せするために演出されたものですが。
シベリアの若者の勇ましさとか、若い女性の可愛いらしさとか、そういったこともお見せできたらと思っています。他の舞踊団と違うところは、やはりシベリアの独特な文化を見せているところにあると思います。ロシアの舞踊もあるのですが、古典的ロシアよりも、シベリアやクラスノヤルスク州をテーマにした民族舞踊ですね。例えば、クラスノヤルスクの誕生からその歴史を語る、その名も「クラスノヤル」という作品もあります。ほかには、今回のプログラムではお見せ出来ませんでしたが、「北の物語」という北方民族をテーマにしたバレエも作っています。クラスノヤルスク州は、北極海から中国までの広大な土地を占めており、色々な民族が住んでいるのです。

いちのへ 2001年から新しい芸術監督に就任なさいましたが、アンサンブルにどのような新たな試みをなさったのでしょうか。
ゴルロフ 新しいバレエや舞踊の演技を考えたり、それを練習させたりしています。私もこの舞踊団に招待されてから12年になりますが、1969年にゲンナージイ・ペトゥーホフによって設立されてから伝統的に受け継がれてきた演技が残っている一方で、時代とともに、舞踊も生き物のように進化させなければならないものなので、プログラムをどんどん変えないといけない側面もありますね。新しい観客とのコンタクト(カタルシスといいますが)を持ち続けなければなりません。我々が心を開いて、観客から感情をもらい、エネルギーレベルでの相互交換を行っていますが、これが新しい演技を生み出すうえでとても助けになります。本当に大変な仕事なんです。演技や舞踊は体力もかなり使うものですから、他の職業に比べて退職するのも早く、ロシアでは20年間働けばもう年金生活を始められます。つまり、休むことができるんですよ。

いちのへ クラスノヤルスク民族舞踊団は初来日ですが、監督は日本にいらしたことがありますか?日本の観客の印象はいかがですか?
ゴルロフ 私はM・ゴデンコ記念クラスノヤルスク国立アカデミー「シベリア舞踊アンサンブル」のソリストをしていましたが、日本に初めて来たのは1982年の公演のときでした。45日間にわたって日本中を回ったんですよ。とても綺麗でいいところだと思いました。日本の哲学、文化、生活観が好きです。殆ど全世界を回りましたが、日本は独特ですね。日本人もとても知恵があって、哲学も優しさの哲学だといえると思います。日本人の場合はその特徴がはっきりと見えていますね。そういう民族はなかなか少ないです。
日本の観客は、初めての公演から、非常に暖かく迎えてくださいました。皆さんの好意と興味がよく伝わったので、演技者としては、自分達の文化を理解してもらえて嬉しかったのです。逆に日本の演劇が我々ロシアで公演するときには、それを理解しようとしたり、日本人の文化を学ぶ機会として観劇しています。そうそう、確か我々のオペラ・バレエ劇場に日本人の芸術監督が来て、バレエのプロデューサーになる予定です。そのことでもお分かり頂けるように、日本とロシアとの文化交流がよく進んでいますよ。

いちのへ ロシア国立ボリショイ・バレエ団で外国人初にして唯一の第1ソリストとして活躍し、今年2012年秋からシベリア・ウランウデにある国立劇場バレエ団の芸術監督に就任された岩田守弘さんですね!私も大ファンで以前インタビューさせていただきました。
さて、日本公演のあとは新年、そしてクリスマスがやってきますが(ロシアでは新年の後で1月7日にロシア正教のクリスマスが祝われます)、休暇はどのようにすごされるのでしょう?監督と舞踊団の今後のご予定を教えてください。
ゴルロフ まず日本から帰ったら少し、そう2~3日は、皆を休ませたいと思います。その後はクラスノヤルスク州での公演が幾つかあります。かなり遠いところですよ。その後は、もちろん、ヨールカ(もみの木)祭りに参加します。家のクリスマスツリーは、モスクワを除けばロシアで一番大きくて高いんですよ!そこで踊るんです。戸外で踊るための冬バージョンの衣装を目下準備中です。我々の冬だと平均してマイナス20-30℃、たまに40℃なんていうときもありますからね。ほかには氷のテーマパークも作られます。色々な氷の彫刻もありますし、子供や大人の為の氷の滑り台もあります。ソリで滑ったりもして、そんな風にお正月を迎えます。ちょうど冬休みのシーズンですし、とてもにぎやかです。ロシアでは子供だけでなくみんなが10日間新年休暇をとるんです。まあ、我々はタレントですから、いつも皆が休みの日にも仕事があるんですけれどね。だからこそ公演後などには休まないと。こういった仕事の特徴のひとつですね。

いちのへ 最後に、今回は東日本大震災救援チャリティー公演ということですが、一言お願いします。
ゴルロフ 我々も皆、心を痛めていました。テレビでも連日やっていましたし、私は出身がウクライナのキエフなのですが、我々にもチェルノブイリの経験がありますから、同じ人間として、とても近く感じていました。ちょうどあの原発事故の二日後にキエフ市に公演に行きました。どれほど怖いか分かります。非常に悲しいですが、残念なことに、このようなことが時々起きてしまいます。なぜ起きるのか、何の為に起きるのか、答えが見つかりません。学者達がいずれ答えられる日が来るのかもしれません……。今もとても大変だと思います。日本の国民の皆様に心からの慰めを申し上げます。亡くなられた方や、その親族、兄弟、両親にもお悔やみを申し上げます。

なお、公演には障害者・被災者120名が招待されたそうです。
今後もロシア文化プログラムを通してさまざまな形で被災地支援活動が続いていきます。

エニセイの朝焼け 2~ファッションショーへようこそ~

土曜日, 12月 1st, 2012

クラスノヤルスク民族舞踊団のステージは、
まるでファッションショーのよう!!

舞台裏には山のような衣装や小物!
なにしろ一人で10着以上もの衣装チェンジがあるのです。

暗い舞台裏でも分かるように
ダンサーはそれぞれ自分の場所を決めて、
着替えやすいように支度しておきます。

曲と曲の合間のわずかな時間、
舞台袖に引っ込むと同時に、
つま先から頭のてっぺんまで
目にもとまらぬ早業で変身!

そしてまた何事もなかったかのように
優雅に舞台に登場していきます。

どれもこれも細かいところまで凝っていて
しかも軽やかに踊れるように工夫されています。

カメラを向けるとポーズ!
笑顔で記念撮影にも応じてくれました。

「私たちのコスチュームは本当に綺麗で、どこの国に行っても、いつも皆に褒められます!民族衣装といっても、もちろん、舞台用のもので、専門のところで作ってもらっています。その衣装によって地元クラスノヤルスクで作ったり、モスクワで作ってもらうものもあります。最初はデザイン画スケッチを、モスクワやサンクトペテルブルグ、クラスノヤルスクなどの画家に頼み、そのあとでそのなかから好きなデザインを選んで、製作を依頼します。ですからこんな美しい衣装ができるんですよ。」

いつか今度はクラスノヤルスクを訪れて、
人気デザインのひとつだという
“ロシア正教の教会風”衣装というのも
ぜひ見てみたいものです!