バレエ界の神様と崇められるファルフ・ルジマトフ。そして日本舞踊界きってのロシア通でもあり“日本のルジマトフ”とも称される藤間蘭黄。踊ることに人生を懸けた日露の舞踊の頂点に君臨するふたりが、ひとつの舞台で夢の響宴を繰り広げる『出逢い〜Встреча〜』は、熱狂的なカーテンコールを繰り返しつつ、歴史に残る初演の幕を閉じました。二人の運命の出逢いは2010年、場所はここ国立小劇場でした。
黒豹のようにしなやかで研ぎすまされた肉体とエキゾチックな風貌、そして圧倒的な存在感で、古典はもちろんモダン作品でも強い個性を発揮しつづけてきたルジマトフ。マリインスキー劇場(キーロフ)バレエのトップダンサーとして活躍後、2007年ミハイロフスキー劇場バレエ芸術監督へ転身するも、2009年からは再びダンサーに専念することを表明して、52歳の今もさらなる高みをめざし舞踊の可能性に挑み続けています。初海外だったという日本においても、これまで数多くの公演を行い数えきれないほどの信奉者を持っており、近年はスサノヲ(笠井叡振付『UZME』)や阿修羅(岩田守弘振付)など東洋的なモチーフにも幅を広げてきました。公演中はほとんど外出せず役に徹するというストイックなルジマトフが、国立小劇場で観た藤間蘭黄の舞台に感動し、「ここで踊る!」と夢を語ったことがきっかけだったそうです。
一方、江戸時代から続く「代地」藤間家の後継者として、日本はもちろん世界中で公演をつづけてきた藤間蘭黄。近年は、日本舞踊界に新しい風を巻き起こす「五耀會」のメンバーとしての活動も目覚ましく、2012年のロシア文化フェスティバル IN JAPAN『ストラヴィンスキー生誕130周年を記念コンサート』では、歌舞伎や浮世絵を愛していたという顔も持つストラヴィンスキーのバレエ曲で創作舞踊『KIBI-機微ー三大バレエ曲より』を発表するという画期的な試みで成功を収めていました。
公演パンフレットによると、ルジマトフ=信長をテーマに、一人で何役も踊り分けることができる日本舞踊の特徴を生かし、蘭黄さんご自身が信長に関わる人物を踊り分けるというこの舞台の基本構想は固まっていたものの、夢の企画は3年の間、温められることになりました。そして“石の上にも3年”、日本とロシアの架け橋として日本舞踊とバレエをつなぐ第3の存在、岩田守弘が加わり、“3人寄れば文殊の知恵”というのでしょうか、2015年のロシア文化フェスティバル IN JAPANの目玉プログラムとして一気に完成へと向かったのでした。
ボリショイバレエで外国人初にして唯一の第一ソリストとして活躍後、ブリヤート国立劇場バレエ団の芸術監督として、また振付家としても活躍する岩田さんが、ダンサーとして認められるきっかけとなったのが、猿の役だったことはよく知られています。自身の小柄な身体を生かし、ダイナミックで表現豊かに演じられた猿は舞台上のすべてのダンサーを凌駕し、仲間にも観客にも“モリ(岩田さんの愛称)を超える道化はいない”と言われるダンサーとなりました。今回は、豊臣秀吉という”猿”と呼ばれたもうひとつの役に命を吹き込むことになりました。
さて、公演の第一部では、ご挨拶がわりに、日本舞踊・バレエそれぞれのフィールドにおける代表作が披露されました。
△蘭黄さんによる粋な江戸を表現する古典の清元『山帰り』
△つづいて、3.11東日本大震災後に湧き上がる日本への救済の想いを込めて初演されたというルジマトフの『ボレロ』
△そして、ソビエトの国民的歌手ヴィソツキーの渋く心を揺さぶる歌声に乗せて自身が振り付けた岩田さんの『全て違うんだ!』
生きた国宝級の御三方の得意技を堪能し、これが第二部の『信長』でどのように生かされるのか……否が応でも期待感が高まります。
そしてついに始まった『信長』。花道からそれぞれの人物が登場するたびに、お馴染みの歴史上の人物が華やかに立体的に目の前に広がります。手の届きそうな迫力の舞台は小劇場ならでは、観客も一体となって濃密なひとときを共有することができます。
彫刻のようなルジマトフの身体を生かした“うつけ者”の黒いシースルーのオリジナルバレエ衣装、対するは、本格的な日本舞踊で着用される雅な和服の奥にただものではない身体の美しさが透けてみえる蘭黄さん。この衣装が象徴しているように、不思議なことに、どの場面を切り取っても、舞台上には本物のバレエを踊るルジマトフと岩田さんがいて、本物の日本舞踊を舞う蘭黄さんがいます。それぞれの舞踊の特製をきちんと守りながらも、その違いを全く感じさせないほどに違和感なく感じられるのです。
“啼かぬなら殺してしまおうホトトギス”と詠まれた信長の、どこか超人的な威圧感、“啼かぬなら啼かせてみせようホトトギス”と詠われた秀吉の、百姓から天下人へのドラマティックな変貌、そしてその個性際立つ二大人物を、二人のバレエを、道三と光秀を演じ分けながらしっかりと国立小劇場の日舞の殿堂で受け止めることが出来る見事さ!極上のバレエと対峙することで際立つ日本舞踊の素晴らしさに改めて出逢って欲しいという願いもあるのではないでしょうか。
△軽やかにまっすぐ前へ飛びだしてきた藤吉郎少年が、憧れの眼差しで信長の周りを行きつ戻りつしてその動きを猿真似したり、秀吉の草履を温めるかのようにして御御足を自らの頭の上に乗せたりと、2人の関係性や具体的なエピソード、心の声までもが、バレエならではの身のこなしで表現され、惚れ惚れとしつつも片時も目が離せません。
△音楽が邦楽から聖歌へと変わり、白い羽を背に天使となった信長の下で、バレエと日本舞踊で戦う蘭黄さんと岩田さんのスローモーションの動きは手に汗握り固唾を呑んで見守りました。
飽くなき情熱をもって、真摯に誠実に、踊りの神髄という山を目指してきた3人の芸術家が、山頂で出逢い、踊ることの喜びを爆発させた舞台は、生への強いパワーに満ち溢れていました・・・!
ところで、表舞台では日本とロシア、日本舞踊とバレエを繋いだ第3の男は岩田守弘さんですが、もうひとり底力を発揮したであろう第3の存在がいらっしゃいます。ロシア文化フェスティバルIN JAPAN5周年を記念して、ソ連崩壊から20年後のロシアにおける新しい傾向とロシア芸術の魅力の基本的特徴がまとめられた『ロシアの文化・芸術』のなかで、混乱期を経てなお輝き続けるロシア・バレエについて執筆されたバレエ評論家の桜井多佳子さんです。
ソ連留学時代からルジマトフのダンサー人生を見届け、その活躍を日本に伝えていらした桜井さんが、蘭黄さんとルジマトフの出逢いを結びつけました。西の大阪出身でさらに西欧・ロシアのバレエに魅せられた桜井さんは、東京・江戸っ子の日本舞踊家・藤間蘭黄さんと出逢い、結婚。同じ舞踊である日本舞踊の素晴らしさを公私にわたって実感され、同時に蘭黄さんも奥様を通してロシアバレエの魅力に惹き込まれていったであろうことは想像に難くありません。お二人の歩まれたその年月が時を経て結晶化し、この舞台で昇華されたようにも感じられるのです。バレエと日本舞踊の双方の良さを決して殺すことなくぶつけたり、重ね合わせたりして生かしながら、舞踊に共通する素晴らしさを抽出して響宴させた舞台は、かけがえのない出逢いへの想いも込められているのかもしれません。