能楽師で人間国宝、さらにロシア文化フェスティバル組織委員としてもご活躍いただいている坂井音重様に、日本側を代表してご挨拶をいただきました。

凛として美しいその立ち姿からは他を圧倒するオーラを感じます。

「私は2003年の日露文化交流のフィナーレにおいて、モスクワのボリショイ劇場とサンクトペテルブルグのマリンスキー劇場で、能を演じました。日本の伝統文化である能を通して、多くの友人ができました。それは、ダイヤモンドにも勝って輝く私の心の宝だと思っております。これからもこの宝が大きく広がってゆくことを願ってやみません。

文明は、決して人間の幸せとは限らない進化をすすめていますが、文化は人を豊かにし、心を和らげ、人を幸せにするものです。

日本には、千数百年の日本人の心の文化があります。一方で、今日のクロージング・コンサートもそうでしたが、ロシアのオーケストラの演奏にはいつも魂を揺さぶられます。これは、同じ人間として、大切な同じ基盤を有しているということです。

来年2013年に8回目となるこのフェスティバルがますます広がりを見せ、さらに両国が親しくなることを願ってやみません。」

いちのへ クラシック音楽もとてもお好きだと伺いました。

「ええ、ロシアの作曲家も大好きです。今日は、日本でも愛されているチャイコフスキーの作品ばかりでしたが、美しい音の響きだけでなく、何かを語りかけているような演奏でした。」

いちのへ 日本とロシアの文化、伝統芸能に通じる素晴らしさはどこにあるとお考えでしょうか。

「ひとつには、技術のレベルが高いこと、もうひとつは、それを発信する人間の心の力でしょう。」

いちのへ 未来へ一言お願いいたします。

「世界が、文化で、ひとつになり平和になること。それが我々が共有する心のあり方ではないでしょうか。」

ひとつひとつのお言葉に、そして常に気品漂う丁寧な物腰に、会場が魅了されました!

ロシア側を代表し、はるばるモスクワから駆け付けてくださった
ミハイル・シュビトコイ ロシア連邦大統領文化特別代理。

大きな温かい手を広げて握手すると
ユーモアたっぷりにご挨拶。

「はるばる、なんてことはないんですよ。
ロシアと日本はとても近いんです。
今も親しい親戚と一緒にいるような気持ちです。
1年に数回ではありますが、このように親しい友人たちと会える機会があるのはとても幸せなことです。

ただひとつ、ロシア文化フェスティバル in JAPAN実現のためにご尽力なさった日本組織委員会副委員長の東道輝氏(ボリショイサーカス取締役会長)が、この場にいらっしゃらないことだけが残念でなりません。どうして素晴らしい人物ほど早く天に召されてしまうのでしょうか……。

これから私たちロシア人と日本人は、一緒に歌舞伎や能などの舞台をみて、日本の車に乗ってロシアのガスを使い…というような生活ができたらと思うのです。
最後に、まもなくやってくる新年、そしてクリスマスのお祝いを申し上げるとともに、皆様に大きな幸せと喜びが訪れますように!ロシアと日本の友好関係が続きますように!」

素敵な未来予想図でご挨拶を締めくくって下さったシュビトコイ氏。
そしてそんな未来を天国から温かく見守ってくださるであろう東道輝氏のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

日本でも人気の高いヴァイオリン協奏曲で
クロージングコンサート会場を感動の渦にした
ソリストのニキータ・ボリソグレブスキーさん。

クロージングパーティ会場でも、その優しい笑顔で
女性ファンの写真撮影攻撃に合っていました。

いちのへ コンサートの手ごたえはいかがでしたか?
ボリソグレブスキー 個人的にはとても気持ちよく演奏できました!お客様がとても温かく、オーケストラも素晴らしく、全体として本当に素晴らしかったと感じています。今日ここで演奏出来たことを本当に嬉しく思います。

いちのへ 日本は初めてですか?
ボリソグレブスキー いいえ、3度目です。東京は初めてなんですけれどね。大阪やいくつかの都市には行ったことがありますよ。

いちのへ 日本にいらっしゃる前と後で、印象はどんな風に変わりましたか?
ボリソグレブスキー 友人たちや他の音楽家たちから、音楽家にとって日本は素晴らしい場所だと聞いていました。良いコンサートホールがたくさんあるし、スタッフもお客様も温かく迎えてくださるし、ホールはいつも満員だし、とね。これは本当にその通りで、音楽家にとってとても嬉しいことです。私は日本の文化や生活が気に入っています……(突然、日本語で)日本食が大好き!

いちのへ どんな日本食がお好きなんですか?
ボリソグレブスキー (日本語で)しゃぶしゃぶ!さしみ!(ロシア語)どれも新鮮で・・・(日本語)おいしい!あともちろん、酒もね!

いちのへ いろいろ召しあがったんですね(笑)。さいごに、日本の皆様にメッセージをお願いします!
ボリソグレブスキー 幸せが多く不幸が少なくありますように!日本の皆様には、地震に関連して悲しい出来事がいろいろありましたからね。どうか日本と日本の皆様に、来年はポジティブなことがたくさん訪れますように!

気迫溢れる熱いコンサートでクロージングを飾ってくださった
モスクワ・フィルハーモニー交響楽団主任指揮者
ユーリー・シーモノフさんからのご挨拶です。

「会場に足を運んでくださった方に、心からの感謝を申し上げます。
今朝、PCを見て気付きました。
(…と言って数字がたくさん書かれた紙を取り出す)

なんと私が日本を訪れたのは、すでに17回目になります。
初めは42年前、1970年の大阪万博のことでした。
当時、まだ私はまだ若く、今はなきソ連のボリショイ劇場の主任指揮者として、
オペラ『ボリス・ゴドノフ』と『イーゴリ公』を振りました。
1972年にはバレエ団と共に来日し、ロシアの誇るバレリーナである
マイヤ・プリセツカヤ演じる『アンナ・カレーニナ(シチェドリン作曲)』を振りました。
その後も、N響との競演などを含めて38都市を訪れ、
ここ東京では50回も指揮棒を振りました。
今日皆様にお聴きいただいたオーケストラ、
モスクワ・フィルハーモニー交響楽団と初めて日本で公演したのも、実は1981年のこと。

こんなふうにたくさんの歳月にまつわる数字を述べましたが、
つまりこうした経験のおかげで日本を知ることができ、日本文化を感じることができ、
礼儀正しく勤勉な日本の人々を愛するようになりました。」

ブログをご覧の方に、一言お願いします!

「まもなく新年とクリスマスがやってきますが、
どうか日本の皆様が、戦争がなく、地震もなく、感染症や津波もなく、幸せでありますように……!
そして、素晴らしい音楽を聞くことができますように!」

舞台裏では、
鬼気迫るリハーサルでの表情と
指揮棒を日本刀に見立てておどけるお茶目な姿、
その両方で私たちを魅了したマエストロなのでした!

エニセイの朝焼け 4~ダイジェスト~

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今回は残念ながらステージを観ることができなかったというあなたに!

クラスノヤルスク民族舞踊団「エニセイの朝焼け」
イーゴリ・ゴルロフ芸術監督にインタビューしてみました!

いちのへ 舞踊団をどのように評価していらっしゃいますか?
ゴルロフ 民族の伝統を魅せており、舞踊団としてはとてもいいと思います。他のどの国にもある永遠のテーマですが男女の恋愛はもちろん、我々の祭りに見られる民族の遊び(例えば、若い男性の殴りあいとか、昔田舎で踊ったステップとか)を魅せています。もちろん、舞台上で踊りとしてお見せするために演出されたものですが。
シベリアの若者の勇ましさとか、若い女性の可愛いらしさとか、そういったこともお見せできたらと思っています。他の舞踊団と違うところは、やはりシベリアの独特な文化を見せているところにあると思います。ロシアの舞踊もあるのですが、古典的ロシアよりも、シベリアやクラスノヤルスク州をテーマにした民族舞踊ですね。例えば、クラスノヤルスクの誕生からその歴史を語る、その名も「クラスノヤル」という作品もあります。ほかには、今回のプログラムではお見せ出来ませんでしたが、「北の物語」という北方民族をテーマにしたバレエも作っています。クラスノヤルスク州は、北極海から中国までの広大な土地を占めており、色々な民族が住んでいるのです。

いちのへ 2001年から新しい芸術監督に就任なさいましたが、アンサンブルにどのような新たな試みをなさったのでしょうか。
ゴルロフ 新しいバレエや舞踊の演技を考えたり、それを練習させたりしています。私もこの舞踊団に招待されてから12年になりますが、1969年にゲンナージイ・ペトゥーホフによって設立されてから伝統的に受け継がれてきた演技が残っている一方で、時代とともに、舞踊も生き物のように進化させなければならないものなので、プログラムをどんどん変えないといけない側面もありますね。新しい観客とのコンタクト(カタルシスといいますが)を持ち続けなければなりません。我々が心を開いて、観客から感情をもらい、エネルギーレベルでの相互交換を行っていますが、これが新しい演技を生み出すうえでとても助けになります。本当に大変な仕事なんです。演技や舞踊は体力もかなり使うものですから、他の職業に比べて退職するのも早く、ロシアでは20年間働けばもう年金生活を始められます。つまり、休むことができるんですよ。

いちのへ クラスノヤルスク民族舞踊団は初来日ですが、監督は日本にいらしたことがありますか?日本の観客の印象はいかがですか?
ゴルロフ 私はM・ゴデンコ記念クラスノヤルスク国立アカデミー「シベリア舞踊アンサンブル」のソリストをしていましたが、日本に初めて来たのは1982年の公演のときでした。45日間にわたって日本中を回ったんですよ。とても綺麗でいいところだと思いました。日本の哲学、文化、生活観が好きです。殆ど全世界を回りましたが、日本は独特ですね。日本人もとても知恵があって、哲学も優しさの哲学だといえると思います。日本人の場合はその特徴がはっきりと見えていますね。そういう民族はなかなか少ないです。
日本の観客は、初めての公演から、非常に暖かく迎えてくださいました。皆さんの好意と興味がよく伝わったので、演技者としては、自分達の文化を理解してもらえて嬉しかったのです。逆に日本の演劇が我々ロシアで公演するときには、それを理解しようとしたり、日本人の文化を学ぶ機会として観劇しています。そうそう、確か我々のオペラ・バレエ劇場に日本人の芸術監督が来て、バレエのプロデューサーになる予定です。そのことでもお分かり頂けるように、日本とロシアとの文化交流がよく進んでいますよ。

いちのへ ロシア国立ボリショイ・バレエ団で外国人初にして唯一の第1ソリストとして活躍し、今年2012年秋からシベリア・ウランウデにある国立劇場バレエ団の芸術監督に就任された岩田守弘さんですね!私も大ファンで以前インタビューさせていただきました。
さて、日本公演のあとは新年、そしてクリスマスがやってきますが(ロシアでは新年の後で1月7日にロシア正教のクリスマスが祝われます)、休暇はどのようにすごされるのでしょう?監督と舞踊団の今後のご予定を教えてください。
ゴルロフ まず日本から帰ったら少し、そう2~3日は、皆を休ませたいと思います。その後はクラスノヤルスク州での公演が幾つかあります。かなり遠いところですよ。その後は、もちろん、ヨールカ(もみの木)祭りに参加します。家のクリスマスツリーは、モスクワを除けばロシアで一番大きくて高いんですよ!そこで踊るんです。戸外で踊るための冬バージョンの衣装を目下準備中です。我々の冬だと平均してマイナス20-30℃、たまに40℃なんていうときもありますからね。ほかには氷のテーマパークも作られます。色々な氷の彫刻もありますし、子供や大人の為の氷の滑り台もあります。ソリで滑ったりもして、そんな風にお正月を迎えます。ちょうど冬休みのシーズンですし、とてもにぎやかです。ロシアでは子供だけでなくみんなが10日間新年休暇をとるんです。まあ、我々はタレントですから、いつも皆が休みの日にも仕事があるんですけれどね。だからこそ公演後などには休まないと。こういった仕事の特徴のひとつですね。

いちのへ 最後に、今回は東日本大震災救援チャリティー公演ということですが、一言お願いします。
ゴルロフ 我々も皆、心を痛めていました。テレビでも連日やっていましたし、私は出身がウクライナのキエフなのですが、我々にもチェルノブイリの経験がありますから、同じ人間として、とても近く感じていました。ちょうどあの原発事故の二日後にキエフ市に公演に行きました。どれほど怖いか分かります。非常に悲しいですが、残念なことに、このようなことが時々起きてしまいます。なぜ起きるのか、何の為に起きるのか、答えが見つかりません。学者達がいずれ答えられる日が来るのかもしれません……。今もとても大変だと思います。日本の国民の皆様に心からの慰めを申し上げます。亡くなられた方や、その親族、兄弟、両親にもお悔やみを申し上げます。

なお、公演には障害者・被災者120名が招待されたそうです。
今後もロシア文化プログラムを通してさまざまな形で被災地支援活動が続いていきます。

クラスノヤルスク民族舞踊団のステージは、
まるでファッションショーのよう!!

舞台裏には山のような衣装や小物!
なにしろ一人で10着以上もの衣装チェンジがあるのです。

暗い舞台裏でも分かるように
ダンサーはそれぞれ自分の場所を決めて、
着替えやすいように支度しておきます。

曲と曲の合間のわずかな時間、
舞台袖に引っ込むと同時に、
つま先から頭のてっぺんまで
目にもとまらぬ早業で変身!

そしてまた何事もなかったかのように
優雅に舞台に登場していきます。

どれもこれも細かいところまで凝っていて
しかも軽やかに踊れるように工夫されています。

カメラを向けるとポーズ!
笑顔で記念撮影にも応じてくれました。

「私たちのコスチュームは本当に綺麗で、どこの国に行っても、いつも皆に褒められます!民族衣装といっても、もちろん、舞台用のもので、専門のところで作ってもらっています。その衣装によって地元クラスノヤルスクで作ったり、モスクワで作ってもらうものもあります。最初はデザイン画スケッチを、モスクワやサンクトペテルブルグ、クラスノヤルスクなどの画家に頼み、そのあとでそのなかから好きなデザインを選んで、製作を依頼します。ですからこんな美しい衣装ができるんですよ。」

いつか今度はクラスノヤルスクを訪れて、
人気デザインのひとつだという
“ロシア正教の教会風”衣装というのも
ぜひ見てみたいものです!

クラスノヤルスク民族舞踊団「エニセイの朝焼け」初来日!
「え!?日本は今、冬なのかい」
「これで寒いなんて笑っちゃうね!」
「マイナス40度じゃなきゃ冬じゃないのさ」
冬物コートに身を包む私たちを横目に
出番を待つダンサーたちは休憩中も元気いっぱい!

そんな舞踊団のみなさんの地元クラスノヤルスクってどんな場所なのか伺ってみました。

「私たちの舞踊団の名前にもなっている、大きく美しいエニセイ川で有名です。
新しい家も建設され、道路も作られて、街はどんどん大きくなり、昨年ついに百万人目の住民が生まれました。日本から見れば大した数字ではないかもしれませんが、百万人ですから充分に大都市と言っていいでしょう!
エニセイ川の両岸に沿っているので、大自然に恵まれた土地です。クラスノヤルスク・ストルビーというところは世界的に有名で、高くて様々な形の岩を見るために、世界中から観光客が訪れます。また、ロシアで最高とされているリュージュ(そり)のコースもあります。川だけでなく、美しい山にも囲まれています。Тайга́(タイガ)と呼ばれる針葉樹林帯でもありますよ。住民は、非常におもてなし精神にあふれ、お客さんが大好きなので、色々な名所に案内してくれます。結論として……非常にいい都市です!」
 

今回のプログラムにも
第1部には「シベリアの遊び」や「シベリアのジプシーの踊り」、
第2部には「大シベリアの踊り」「ピクニックでのエニセイ・コサック」
など、クラスノヤルスク民族舞踊団ならではの作品が満載!

広大なロシアのさまざまな地方から
そこでしか見ることのできない文化芸術が日本へ……
「ロシア文化フェスティバルin JAPAN」の魅力のひとつですね!!

ドラマチック・ロシア in JapanⅡ

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ひきつづき、ロシア文化フェスティバルをより深くご堪能いただく本について
長塚英雄・日本組織委員会事務局長に伺います。
現在準備中だという新刊についても、一足早く教えていただきました!

いちのへ テーマはいつもどのようにお探しになるんですか。
長塚 ロシア漂流民・日露戦争ロシア兵墓地・ハリストス正教会建築物・帝政ロシア遣日使節・ロ日関係偉人史蹟など、これまで132個ものテーマを探究・紹介してきました。しかし、驚くべきことに、日本の中のロシアに関するテーマは無尽蔵とも思えるほど次から次へとでてきます。私は古書収集も趣味のひとつなのですが、ロシア文化フェスティバルのイベントで日本各地へ出張する際に立ち寄った地元の古本屋で、思いがけなく興味深いテーマに出会うこともあるんですよ。


「ドラマチック・ロシア in Japan Ⅱ」
(2012年刊行 生活ジャーナル社)

いちのへ 今年2012年には、またまた魅力的なテーマ満載の第2弾が刊行されましたね。
長塚 おかげさまでご好評をいただき、新たに24本のテーマが追究されることになりました。昨年の3・11大震災の直後、ロシアを含め各国救援隊が来日しました。日本のマスコミは一様に日ロ関係史上初の出来事として報じましたが、私はこれに違和感を覚えていました。関東大震災の際に全露国民的募金運動を行い救援船が日本に派遣されたにもかかわらず、日本当局が横浜港から追い返した経緯があったからです。このことから、今一度、当時のレーニン号事件に焦点を当てることの重要性を感じてテーマに選びました。また、現在こう着状態の日露両国関係の打開についても、大戦後1956年の日ソ国交回復の歴史的教訓を再検討すべき必要性を感じていました。当時、政府・政権党内情勢の不安定にもかかわらず、調印に踏み切らせた要因の一つには、民間のさまざまなバックアップがあったのです。そこで国交回復の舞台裏で活躍した人々についても取り上げることにしました。

いちのへ 「ロシア文化フェスティバル in Japan」とこの「ドラマチック・ロシア」シリーズ本が相乗効果をなして、過去から現在、そして未来へとつづく日本とロシアの交流を深化させているのですね。ほかにはどんなテーマがあるのでしょうか。
長塚 文化テーマでは、長崎のロシア人と島尾敏雄や、トルストイと昭和女子大学の関係、日本最初の遣魯伝習生である市川文吉、女優松井須磨子のウラジオストク公演、ボリショイサーカスと日本の半世紀の歴史など。ほかにも社会テーマでは、ニコライ堂・ボドウォーリエ教会の法的経緯について、外交テーマでは、はじめて一般に公にされるもうひとつの領土紛争?帝政ロシア長崎領事館問題や、ロシア外務省に勤務した日本人についてなど。すべての原稿に新しい発見があるはずですよ。

いちのへ 第3弾も期待できますね!
長塚 序文を書いてくださった河東哲夫先生が“若い世代へ向けた新しいシリーズの始まり”と紹介してくださいましたが、今後も執筆者の輪を広げながら継続した続編の企画をすすめていきたいと考えています。第三弾では、「日露の群像」ー日本とロシアの文化・相互理解に尽くした日本人とロシア人に焦点をあててまとめる予定です。両国関係史に登場するニコライ大主教、幕府・政府の最初の露語通訳・志賀浦太郎、イコン画家・山下りん、日本研究家・スパリヴィン、エリセーエフやネフスキー、岡田嘉子など幕末から明治・大正・昭和に生きてきた故人30氏の人物論を準備しています。二葉亭四迷や榎本武揚といった皆さんが文学史や日本史の教科書で名前を知っているような有名人だけでなく、多大な貢献をしているにもかかわらずこれまであまり取り上げられることの少なかった人々も発掘していきます。

いちのへ ソチ五輪が開催される2014年春に刊行予定とのこと、日本とロシアの間に、また新しい1ページが刻まれる日が今から待ち遠しいです!今日はありがとうございました。

深まる秋は、深める読書はいかがでしょうか?

ロシア文化フェスティバルをさらに深くご堪能いただける本について、
長塚英雄・日本組織委員会事務局長にお話を伺ってみました。

いちのへ そもそもこの本が誕生するきっかけはなんだったのでしょうか。
長塚 私は両親がサハリンのドリンスクに居住し兄姉がサハリンで生まれたという経緯もあり、1970年から日ロ交流史を追い続けてきました。2000年に「日本のなかのロシア研究会」を主宰し、2001年~2007年にかけて「日本のなかのロシア」をテーマとして、各地の郷土史研究家のお力をお借りして、四冊の『日本のなかのロシア』を東洋書店から発行していました。このシリーズを土台に18の興味深いテーマについて、日露の18人の先生方に寄稿していただこうと企画したのが、「ドラマチック・ロシア in Japan 文化と史跡の探訪」です。


「ドラマチック・ロシア in Japan 文化と史跡の探訪」
(2010年刊行 生活ジャーナル社)

いちのへ 一番の見どころはどこにあるでしょうか。
長塚 やはり、知られざるドラマチックな交流にあるでしょう。たとえば、あの野口英世が、黄熱病研究のためのアフリカ渡航前に、ロシア人彫刻家カニョンコフに銅像を制作してもらったことはご存知でしたか?その妻のカニョンコワ夫人が、かつてアインシュタイン博士や歌手シャリャアピン、ピアニストのラフマニノフをも魅了したソ連のスパイだったことは?たとえば、あの帝国ホテルに先駆的なパンづくりを伝えたのが、ロマノフ王朝時代に宮廷で働いていたサゴヤンだということは?こんなふうに、それぞれのテーマには、深くドラマチックなストーリーが眠っているのです。

いちのへ “ロシア”というテーマで見つめてみると、日本列島が、そしていつも私たちが生活している場所が、また新しい魅力を持ちはじめるのですね。ほかにはどんなテーマがあるのでしょうか。
長塚 第一章は、沖縄・宮古島研究の先駆者となったロシア人ニコライ・ネフスキーについてなど「学術面から見た日本の中のロシア」。第二章は、関東大震災とロシアなど「社会面から見た日本の中のロシア」。第三章は、日本を“心の故郷”としていたトルストイの令嬢アレクサンドラについてなど「文学・芸術の中のロシア」。そして第四章は、黒船来航よりも114年も前の江戸時代中期に根組ノ浜に出現したロシア探検船についてや、1856年にロシア皇帝より江戸幕府に贈られたディアナ号大砲のその後の行方など「江戸・明治・大正時代の日ロ交流から」という構成になっています。

いちのへ 初めて知ることばかりです!
長塚 そうでしょう。学会レベルでも初めての論究もありますよ。巻末付録として日本におけるロシアン・ワールドをカラー写真で明記した日本地図があります。日本とロシアの交流の歴史はわずかに300年たらずであるにもかかわらず、日本列島に百数十か所も存在するロシアン・ワールド=文化と交流の史蹟をご覧いただけます。江戸後期からの、とくに明治・大正期からの日露関係、それも文化分野における足跡は、本当に日本のあちらこちらに刻まれています。これをみると、文明が南から北へ伝播してきたという偏見が打ち破られ、また、ロシア文化がいかに日本に強い影響を与えてきたかが浮き彫りになるでしょう。」

→「ドラマチック・ロシア in JAPAN Ⅱ」へつづく