2013年プログラム完成秘話

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2006年から毎年雰囲気を変えてロシアの今をPRしてきた

『ロシア文化フェスティバル in JAPAN』プログラム。

 

▲2006〜2010年プログラムのカバーコレクション

 

▲昨年2012年プログラム

 

 

そして、お待たせいたしました!

注目の 2013年 プログラムの完成です。

ロシア文化・芸術といえば、あなたにとっては何でしょうか?

バレエやクラシック音楽、演劇、民族舞踊などさまざまな分野が挙げられますが、

今年はバレエ企画が5本も用意されていることから、

華やかにバレリーナをデザインしたものになったそうです。

 

 

 

この美しいバレリーナは、ボリショイ・バレエ劇場のソリスト、ネリ・コバヒゼさん。

『ロシア文化フェスティバル in JAPAN』の催しで踊ったときのお写真ですので、

記憶にあるという方もいらっしゃるかもしれません!

当時、バレリーナとしてはもちろん、その妖精のような美貌を生かして

第5回東京ガールズコレクションにファッションモデルとして出演したそうです。

 

 

ネリ・コバヒゼさんのお母様は、ロシア連邦文化省文化映画庁現代芸術局長として活躍されたマイヤ・コバヒゼさん。

今年6月のロシア文化人講演会では、”現代ロシア演劇における新しい傾向“について語ってくださる予定です。

ロシア文化フェスティバルロシア組織委員会委員として、日本語や日本文化にも興味を持っていらっしゃるというスーパーウーマンなのです。

 

 

さて、バレリーナの背景には、今のモスクワが映し出されています。

変わりゆく現代と、いつまでも変わらず心に響く芸術のひととき。

まさに『ロシア文化フェスティバル』を象徴したデザインといえそうですね。

 

 

なお、プログラムは「ロシア文化フェスティバル友の会」にご登録いただくとお手元に届きます!

登録(無料)はこちら

インタビュー“こけし界への挑戦”

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今回のマトコケシ展覧会について、カメイ美術館学芸員の青野由美子さんと伊藤直美さん、そしてマトコケシの生みの親でありこの展覧会プロデューサーでもある沼田元氣さんにお話を伺いました。

 

いちのへ 素晴らしい展覧会になりましたね!

青野・伊藤(敬称略) 昨年の「コケーシカ展」のときもそうでしたが、今回の「マトコケシ展」にはさらに多くの若い女性が足を運んでくださり、日本におけるマトリョーシカ人気を感じました。カメイ美術館では普段、日本の伝統こけしを展示しておりますので、このような斬新な企画は“こけし界への挑戦”ともいうべきもので緊張感も伴いましたが、おかげさまで大変好評をいただきました。民芸品が醸し出す素朴な味わいや温もりの持つ魅力は、日本もロシアも同じなんですね。

沼田 東日本大震災でおもちゃを失ってしまった被災地の子供たちにマトリョーシカを寄贈してくださったロシアの作家の皆様から、マトリョーシカを通して何か応援できることはないかとの有り難いメッセージをいただきました。そこで、マトリョーシカのルーツがこけしにあるということからヒントを得て、東北の伝統こけしの白木地にマトリョーシカの伝統柄を描彩したマトコケシを作り、それをこけしの産地でもある被災地の東北で展示することで、日露友好の新たな伝統になればと願いを込めました。

 

▲コケーシカを手にする沼田元氣さん

▲カメイ美術館学芸員の青野由美子さん(左)&伊藤直美さん(右)

いちのへ マトリョーシカとの出逢いを教えてください。

伊藤 私はプーシキン美術展を観に行ったときに、記念グッズとして購入したマトリョーシカを持っています。こけし収集家のお宅を訪れたときにも、よくそのコレクション棚にマトリョーシカを発見するんですよ。

青野 私も3ピースくらいの小さなものを持っています。宮城県がロシアのニジニ・ノヴゴロドと姉妹都市だからというのもあるかもしれませんが、ロシアと縁があるようで、名画座や本屋の並ぶ文化ゾーンにあったロシア料理店でボルシチを食べたこともあります。歌声喫茶からもよくロシア民謡が聞こえてきますし(笑)、ハリストス正教会も多いですからね。

沼田 実は産まれる前からの話になります。というのは、ロシアとの貿易を生業にしていた祖父の影響で、私の母は革命前のロシア、ウラジオストクに生まれました。母が子供時代に遊んだマトリョーシカを持って帰国したため、私は母のお腹のなかにいる頃から身近にマトリョーシカがあったのです。

 

 

いちのへ マトコケシをご覧になっていかがですか?

青野 昨年のコケーシカ展覧会は、フォルムはマトリョーシカでも絵付けがこけしだったので、全体的に和テイストでしたが、今回のマトコケシ展は、どれもこれも色が鮮やかで目を引きますよね!日本の伝統こけしの黒や赤を基本とした美しさも捨てがたいのですが、ロシアのマトリョーシカ作家さんたちの色使いのセンスには脱帽でした!パネル展示ではマトリョーシカ職人とこけし工人さんの制作過程を比較しながら作品を鑑賞出来るようになっているのですが、こうしてみると、こけし工人さんもマトリョーシカ作家さんも、ご本人やご家族に表情が似ていらっしゃいますね!

 伊藤 意外なことに違和感はほとんどなくて、どれも素晴らしい完成度でしたね。同じ木地でも、日本のこけしはミズキやイタヤカエデ、現代はサクラなどを使う工人さんもいますが、ロシアのマトリョーシカは白樺や菩提樹ですよね?ほかにも表面仕上げの程度の差から、絵付けの際に墨のにじみ具合が違うなどお互いにいろいろと苦労もあったようです。工人さんやマトリョーシカ作家さんには、「伝統柄を描いてほしい」ということだけお願いしてあとはそのセンスにお任せしたんですが、さすがプロですよね!

 

  

 

いちのへ 素敵な作品ばかりですが、もしひとつご自宅につれて帰るとしたら?

青野 可愛らしくてカラフルでポルホフ・マイダン系が気に入っています。人気がありますよ!日本の伝統こけし産地に当てはめると弥治郎っぽいかしら・・・なんて想像して楽しんだりしています。温かくて素朴な村の雰囲気が伝わってくるようです。

伊藤 こけしとのギャップが魅力なのがノリンスク系ですね。もともとのこけしに比べて、「おお、こうきたか!」という驚きがありましたが、すごくきまっていて、こけしの白木地を使っていることを忘れてしまうくらいの完成度。まるでこのままロシアの民芸品みたいですよね?あとは、共和国系の渋い色の組み合わせや胴模様に描かれている伝統柄なんて、本当に美しいですね。

 

 

 

いちのへ 交流イベントのために来日したマトリョーシカ作家コブロフさん。日本ではどのように過ごされたのでしょうか。

伊藤 この展覧会をプロデュースされた沼田元氣さんとコブロフさんは一緒に温泉にも泊まったんですよ。まさに、裸の付き合いですね!コブロフさんは以前、水着を着用して入浴するような温泉施設は体験したことがあったようですが、今回は作並温泉という本格的な日本の温泉でしたので、とても感激していらっしゃいました。ただ、男湯・女湯と分かれていたため、奥様とご一緒でなかったのが寂しかったそうです。(笑)工人さんが大きなおはぎや寿司でもてなしてくださり、あんこや生魚にも挑戦されていました。

青野 職人気質という面では日本の伝統こけし工人さんと同じものを感じました。日ロ文化交流の一環として、宮城県のこけし産地のなかの作並系こけし工人さんのお宅を訪問しましたが、お互いの作品を見せ合いながら、ずいぶん熱心に質問していらっしゃいました。コブロフさんがその場でささっとコケシに絵付けしてプレゼントする一幕もあったんです。そうそう、こけし以外にコマにも興味を持っていらして、お土産に購入されていましたね。

沼田 コブロフ夫妻には、ぜひ日本の良さを知っていただきたいと思っておりました。お互いの国の良い部分を紹介しあうということが、とても大切だと考えているのです。外国のお客様をお迎えすることは、自国の良い部分を改めて知る機会にもなりますし、これまで気づかなかった良い部分を教えていただくこともあります。

人形ははじめに作者によって、それから持ち主の手に渡り愛されることで、魂が吹き込まれるものですが、このマトコケシを作ったロシア人がどんな人なのだろう、これが作られたロシアはどんな国なのだろう、と興味を持ち近しく感じていただけたら、それは日露交流の一歩であると嬉しく思います。

日本では震災後は特に、家族の絆が改めて見直されており、この展覧会を通して母親や家族の温かな存在がモチーフになっているマトリョーシカを好きになっていただけたら嬉しく思います。

 

 

 

 

 

 

どこかご本人にも似ているつぶらな瞳の作品で
日本にもファンの多いマトリョーシカ作家セルゲイ・コブロフさん。
蔵王系こけしの岡崎幾雄さんと土湯系こけしの陳野原幸紀さんの木地で
こんな可愛らしいマトコケシが誕生しました。

そんなコブロフ夫妻をお招きして、
今回のマトコケシ展覧会では、
ユニークな交流イベントも開催されました!

宮城県の作並温泉に泊まり、伝統こけしの制作過程を見学。
工人さんのお宅ではおはぎを頂きながら独楽まわしも体験したというコブロフ夫妻。

 

 

 

 

お礼には、ささっとこけしに絵付けを施してプレゼント。

 

 

 

 

イベント第一弾トークショーでは、
マトリョーシカの魅力や作家になったきっかけ、
こけしの共通点や違い、未来に期待することなど
コブロフ夫妻の熱く真摯な言葉と優しい笑顔に、
そして会場で振る舞われた熱々のロシアンティーに、
集まった皆様は身も心も温まったご様子・・・。

つづいてイベント第二弾、コブロフ工房の指導のもとで
なんとも贅沢なマトリョーシカ絵付け教室も開催されました。

あっという間に定員になったというこの人気イベント。
さすがに絵心のある方ばかりとみえて、
完成品を展示ケースの前に並べてみると、
この通りの力作揃い!!

ミュージアムショップでは、コブロフ工房のマトリョーシカはもちろん、
絵付けに挑戦できる白木マトリョーシカ・キットや

日露友好こけしなどオリジナルグッズも満載でした。

震災復興支援「SAVE JAPAN ありがとうKOKESHI SMILEプロジェクト」の一環として
こけしの産地である東北へ、ロシアから届けられた沢山のマトコケシたち。

「マトリョーシカとこけしが似ていることに驚きましたが、
同じ雪国だからでしょうか・・・コブロフ夫妻にお会いして、
東北の私たちとロシア人とも素朴さや温かさが似ているように感じたのは嬉しい驚きでした。」
「マトコケシの華やかな色合わせが、震災からずっと沈みがちだった心に花を咲かせてくれたようでした。」
「マトリョーシカの魅力を通して、こけしの魅力を再発見することができました。」

マトコケシたちとのおしゃべりに花が咲くひとときでした!

 

日本は空前のマトリョーシカ・ブーム!
“可愛い”ものが大好きな女性たちの乙女心をくすぐる
ロシアの伝統マトリョーシカが日本の伝統こけしと出逢ったら・・・?

蔵王系(吉田昭さん)、作並系(加納博さん)、山形系(志田菊宏さん)、南部系(煤孫盛造さん)による伝統こけしの木地に、
マトリョーシカ作家ポリーナ・クリールキナさんが伝統絵柄を描くと、
こんなマトコケシが誕生しました!

今回は宮城県仙台市にある伝統こけしの殿堂カメイ美術館
2012年11月6日〜2013年1月20日にかけて開催されていた
「マトコケシ展」にお邪魔してきました。

展示会場に一歩足を踏み入れると、
マトリョーシカとこけし、そしてマトコケシたちが
微笑んで出迎えてくれます。

マトリョーシカとこけしを比較しながら
制作過程を追いかけていくパネル展示を前に、
6つのマトリョーシカ伝統産地ごとのマトコケシたちが
自信たっぷりにポーズをとっています。

▲巻き髪と長い睫毛、ゴージャスな花柄が特徴のポルホフ・マイダン系のほか、

▲田舎の穏やかな雰囲気が表情や色使いにも漂うセルギエフ・ポサード系、


▲ソ連時代からお土産の定番だったセミョーノフ系に、
麦わら細工で有名なキーロフ系やノリンスク系……

▲さらには共和国系やアーティスト系など、
ロシアでもなかなか見ることのできない美人がずらり!

ロシア全土のマトリョーシカ産地を訪ねて「マトリョーシカ大図鑑」を完成させた沼田元氣さんは、
今回のマトコケシ展覧会のために、ロシア人作家ひとりひとりに会い、11の産地から選び抜かれたこけしの白木地を託しました。

▲沼田元氣さん(鎌倉コケーシカにて)

 

マトリョーシカという名前はロシア語の“母”に由来しますが
なんとマトリョーシカのルーツ(母)は、日本のこけし!
一方、お母様がロシアで誕生されたというルーツをお持ちの沼田さんが
日露友好の新たな伝統になることを願って2009年に考案したのが、

マトリョーシカの木地にこけしの描彩の“コケーシカ”と、
こけしの木地にマトリョーシカの描彩の“マトコケシ”なのです。

 

 

 

マトコケシになんだか懐かしく温かい気持ちを感じるのは、
時代も国も民族も飛び越えて子供を産み育ててきた母の温もりを感じるからでしょうか。
それとも家族に囲まれているような安心感があるからなのでしょうか。

 

 

 

能楽師で人間国宝、さらにロシア文化フェスティバル組織委員としてもご活躍いただいている坂井音重様に、日本側を代表してご挨拶をいただきました。

凛として美しいその立ち姿からは他を圧倒するオーラを感じます。

「私は2003年の日露文化交流のフィナーレにおいて、モスクワのボリショイ劇場とサンクトペテルブルグのマリンスキー劇場で、能を演じました。日本の伝統文化である能を通して、多くの友人ができました。それは、ダイヤモンドにも勝って輝く私の心の宝だと思っております。これからもこの宝が大きく広がってゆくことを願ってやみません。

文明は、決して人間の幸せとは限らない進化をすすめていますが、文化は人を豊かにし、心を和らげ、人を幸せにするものです。

日本には、千数百年の日本人の心の文化があります。一方で、今日のクロージング・コンサートもそうでしたが、ロシアのオーケストラの演奏にはいつも魂を揺さぶられます。これは、同じ人間として、大切な同じ基盤を有しているということです。

来年2013年に8回目となるこのフェスティバルがますます広がりを見せ、さらに両国が親しくなることを願ってやみません。」

いちのへ クラシック音楽もとてもお好きだと伺いました。

「ええ、ロシアの作曲家も大好きです。今日は、日本でも愛されているチャイコフスキーの作品ばかりでしたが、美しい音の響きだけでなく、何かを語りかけているような演奏でした。」

いちのへ 日本とロシアの文化、伝統芸能に通じる素晴らしさはどこにあるとお考えでしょうか。

「ひとつには、技術のレベルが高いこと、もうひとつは、それを発信する人間の心の力でしょう。」

いちのへ 未来へ一言お願いいたします。

「世界が、文化で、ひとつになり平和になること。それが我々が共有する心のあり方ではないでしょうか。」

ひとつひとつのお言葉に、そして常に気品漂う丁寧な物腰に、会場が魅了されました!

ロシア側を代表し、はるばるモスクワから駆け付けてくださった
ミハイル・シュビトコイ ロシア連邦大統領文化特別代理。

大きな温かい手を広げて握手すると
ユーモアたっぷりにご挨拶。

「はるばる、なんてことはないんですよ。
ロシアと日本はとても近いんです。
今も親しい親戚と一緒にいるような気持ちです。
1年に数回ではありますが、このように親しい友人たちと会える機会があるのはとても幸せなことです。

ただひとつ、ロシア文化フェスティバル in JAPAN実現のためにご尽力なさった日本組織委員会副委員長の東道輝氏(ボリショイサーカス取締役会長)が、この場にいらっしゃらないことだけが残念でなりません。どうして素晴らしい人物ほど早く天に召されてしまうのでしょうか……。

これから私たちロシア人と日本人は、一緒に歌舞伎や能などの舞台をみて、日本の車に乗ってロシアのガスを使い…というような生活ができたらと思うのです。
最後に、まもなくやってくる新年、そしてクリスマスのお祝いを申し上げるとともに、皆様に大きな幸せと喜びが訪れますように!ロシアと日本の友好関係が続きますように!」

素敵な未来予想図でご挨拶を締めくくって下さったシュビトコイ氏。
そしてそんな未来を天国から温かく見守ってくださるであろう東道輝氏のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

日本でも人気の高いヴァイオリン協奏曲で
クロージングコンサート会場を感動の渦にした
ソリストのニキータ・ボリソグレブスキーさん。

クロージングパーティ会場でも、その優しい笑顔で
女性ファンの写真撮影攻撃に合っていました。

いちのへ コンサートの手ごたえはいかがでしたか?
ボリソグレブスキー 個人的にはとても気持ちよく演奏できました!お客様がとても温かく、オーケストラも素晴らしく、全体として本当に素晴らしかったと感じています。今日ここで演奏出来たことを本当に嬉しく思います。

いちのへ 日本は初めてですか?
ボリソグレブスキー いいえ、3度目です。東京は初めてなんですけれどね。大阪やいくつかの都市には行ったことがありますよ。

いちのへ 日本にいらっしゃる前と後で、印象はどんな風に変わりましたか?
ボリソグレブスキー 友人たちや他の音楽家たちから、音楽家にとって日本は素晴らしい場所だと聞いていました。良いコンサートホールがたくさんあるし、スタッフもお客様も温かく迎えてくださるし、ホールはいつも満員だし、とね。これは本当にその通りで、音楽家にとってとても嬉しいことです。私は日本の文化や生活が気に入っています……(突然、日本語で)日本食が大好き!

いちのへ どんな日本食がお好きなんですか?
ボリソグレブスキー (日本語で)しゃぶしゃぶ!さしみ!(ロシア語)どれも新鮮で・・・(日本語)おいしい!あともちろん、酒もね!

いちのへ いろいろ召しあがったんですね(笑)。さいごに、日本の皆様にメッセージをお願いします!
ボリソグレブスキー 幸せが多く不幸が少なくありますように!日本の皆様には、地震に関連して悲しい出来事がいろいろありましたからね。どうか日本と日本の皆様に、来年はポジティブなことがたくさん訪れますように!

気迫溢れる熱いコンサートでクロージングを飾ってくださった
モスクワ・フィルハーモニー交響楽団主任指揮者
ユーリー・シーモノフさんからのご挨拶です。

「会場に足を運んでくださった方に、心からの感謝を申し上げます。
今朝、PCを見て気付きました。
(…と言って数字がたくさん書かれた紙を取り出す)

なんと私が日本を訪れたのは、すでに17回目になります。
初めは42年前、1970年の大阪万博のことでした。
当時、まだ私はまだ若く、今はなきソ連のボリショイ劇場の主任指揮者として、
オペラ『ボリス・ゴドノフ』と『イーゴリ公』を振りました。
1972年にはバレエ団と共に来日し、ロシアの誇るバレリーナである
マイヤ・プリセツカヤ演じる『アンナ・カレーニナ(シチェドリン作曲)』を振りました。
その後も、N響との競演などを含めて38都市を訪れ、
ここ東京では50回も指揮棒を振りました。
今日皆様にお聴きいただいたオーケストラ、
モスクワ・フィルハーモニー交響楽団と初めて日本で公演したのも、実は1981年のこと。

こんなふうにたくさんの歳月にまつわる数字を述べましたが、
つまりこうした経験のおかげで日本を知ることができ、日本文化を感じることができ、
礼儀正しく勤勉な日本の人々を愛するようになりました。」

ブログをご覧の方に、一言お願いします!

「まもなく新年とクリスマスがやってきますが、
どうか日本の皆様が、戦争がなく、地震もなく、感染症や津波もなく、幸せでありますように……!
そして、素晴らしい音楽を聞くことができますように!」

舞台裏では、
鬼気迫るリハーサルでの表情と
指揮棒を日本刀に見立てておどけるお茶目な姿、
その両方で私たちを魅了したマエストロなのでした!

エニセイの朝焼け 4~ダイジェスト~

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今回は残念ながらステージを観ることができなかったというあなたに!

クラスノヤルスク民族舞踊団「エニセイの朝焼け」
イーゴリ・ゴルロフ芸術監督にインタビューしてみました!

いちのへ 舞踊団をどのように評価していらっしゃいますか?
ゴルロフ 民族の伝統を魅せており、舞踊団としてはとてもいいと思います。他のどの国にもある永遠のテーマですが男女の恋愛はもちろん、我々の祭りに見られる民族の遊び(例えば、若い男性の殴りあいとか、昔田舎で踊ったステップとか)を魅せています。もちろん、舞台上で踊りとしてお見せするために演出されたものですが。
シベリアの若者の勇ましさとか、若い女性の可愛いらしさとか、そういったこともお見せできたらと思っています。他の舞踊団と違うところは、やはりシベリアの独特な文化を見せているところにあると思います。ロシアの舞踊もあるのですが、古典的ロシアよりも、シベリアやクラスノヤルスク州をテーマにした民族舞踊ですね。例えば、クラスノヤルスクの誕生からその歴史を語る、その名も「クラスノヤル」という作品もあります。ほかには、今回のプログラムではお見せ出来ませんでしたが、「北の物語」という北方民族をテーマにしたバレエも作っています。クラスノヤルスク州は、北極海から中国までの広大な土地を占めており、色々な民族が住んでいるのです。

いちのへ 2001年から新しい芸術監督に就任なさいましたが、アンサンブルにどのような新たな試みをなさったのでしょうか。
ゴルロフ 新しいバレエや舞踊の演技を考えたり、それを練習させたりしています。私もこの舞踊団に招待されてから12年になりますが、1969年にゲンナージイ・ペトゥーホフによって設立されてから伝統的に受け継がれてきた演技が残っている一方で、時代とともに、舞踊も生き物のように進化させなければならないものなので、プログラムをどんどん変えないといけない側面もありますね。新しい観客とのコンタクト(カタルシスといいますが)を持ち続けなければなりません。我々が心を開いて、観客から感情をもらい、エネルギーレベルでの相互交換を行っていますが、これが新しい演技を生み出すうえでとても助けになります。本当に大変な仕事なんです。演技や舞踊は体力もかなり使うものですから、他の職業に比べて退職するのも早く、ロシアでは20年間働けばもう年金生活を始められます。つまり、休むことができるんですよ。

いちのへ クラスノヤルスク民族舞踊団は初来日ですが、監督は日本にいらしたことがありますか?日本の観客の印象はいかがですか?
ゴルロフ 私はM・ゴデンコ記念クラスノヤルスク国立アカデミー「シベリア舞踊アンサンブル」のソリストをしていましたが、日本に初めて来たのは1982年の公演のときでした。45日間にわたって日本中を回ったんですよ。とても綺麗でいいところだと思いました。日本の哲学、文化、生活観が好きです。殆ど全世界を回りましたが、日本は独特ですね。日本人もとても知恵があって、哲学も優しさの哲学だといえると思います。日本人の場合はその特徴がはっきりと見えていますね。そういう民族はなかなか少ないです。
日本の観客は、初めての公演から、非常に暖かく迎えてくださいました。皆さんの好意と興味がよく伝わったので、演技者としては、自分達の文化を理解してもらえて嬉しかったのです。逆に日本の演劇が我々ロシアで公演するときには、それを理解しようとしたり、日本人の文化を学ぶ機会として観劇しています。そうそう、確か我々のオペラ・バレエ劇場に日本人の芸術監督が来て、バレエのプロデューサーになる予定です。そのことでもお分かり頂けるように、日本とロシアとの文化交流がよく進んでいますよ。

いちのへ ロシア国立ボリショイ・バレエ団で外国人初にして唯一の第1ソリストとして活躍し、今年2012年秋からシベリア・ウランウデにある国立劇場バレエ団の芸術監督に就任された岩田守弘さんですね!私も大ファンで以前インタビューさせていただきました。
さて、日本公演のあとは新年、そしてクリスマスがやってきますが(ロシアでは新年の後で1月7日にロシア正教のクリスマスが祝われます)、休暇はどのようにすごされるのでしょう?監督と舞踊団の今後のご予定を教えてください。
ゴルロフ まず日本から帰ったら少し、そう2~3日は、皆を休ませたいと思います。その後はクラスノヤルスク州での公演が幾つかあります。かなり遠いところですよ。その後は、もちろん、ヨールカ(もみの木)祭りに参加します。家のクリスマスツリーは、モスクワを除けばロシアで一番大きくて高いんですよ!そこで踊るんです。戸外で踊るための冬バージョンの衣装を目下準備中です。我々の冬だと平均してマイナス20-30℃、たまに40℃なんていうときもありますからね。ほかには氷のテーマパークも作られます。色々な氷の彫刻もありますし、子供や大人の為の氷の滑り台もあります。ソリで滑ったりもして、そんな風にお正月を迎えます。ちょうど冬休みのシーズンですし、とてもにぎやかです。ロシアでは子供だけでなくみんなが10日間新年休暇をとるんです。まあ、我々はタレントですから、いつも皆が休みの日にも仕事があるんですけれどね。だからこそ公演後などには休まないと。こういった仕事の特徴のひとつですね。

いちのへ 最後に、今回は東日本大震災救援チャリティー公演ということですが、一言お願いします。
ゴルロフ 我々も皆、心を痛めていました。テレビでも連日やっていましたし、私は出身がウクライナのキエフなのですが、我々にもチェルノブイリの経験がありますから、同じ人間として、とても近く感じていました。ちょうどあの原発事故の二日後にキエフ市に公演に行きました。どれほど怖いか分かります。非常に悲しいですが、残念なことに、このようなことが時々起きてしまいます。なぜ起きるのか、何の為に起きるのか、答えが見つかりません。学者達がいずれ答えられる日が来るのかもしれません……。今もとても大変だと思います。日本の国民の皆様に心からの慰めを申し上げます。亡くなられた方や、その親族、兄弟、両親にもお悔やみを申し上げます。

なお、公演には障害者・被災者120名が招待されたそうです。
今後もロシア文化プログラムを通してさまざまな形で被災地支援活動が続いていきます。