ソ連時代の実際の地下核シェルターの一部が博物館として公開されているБУНКЕР-42 НА ТАГАНКЕ(冷戦博物館)。第2次世界大戦後、米ソ冷戦体制がつづき、1950年代は軍事的にも緊張が高まって核戦争が現実のものになるかもしれない恐怖にさらされていました。当時作られた地下65m広さ7000m²もの巨大シェルターが博物館として公開され、2006年の開館時から今日まで、ロシア人にも観光客にも人気があります。年齢別・体験型などさまざまなツアーがあります(要予約。外国人料金は大人1名2200R。ロシア語・英語ツアーあり)。

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△住宅街のなかに突如現れる入口!博物館として公開されるまでは、もちろん存在も入口も極秘でしたから、近隣にお住まいの方は、まさかこの普通の建物の下にこんな巨大施設が存在していたなんて驚かれたことでしょうね・・・!

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△シェルターは1950年から建設がはじまり1956年に完成。主に4つのブロックに分かれ、通路で繋がっています。公開されているのは第4ブロックのみで、残りは食料や水、燃料の備蓄などに使用されています。ちなみにソ連当時の入口のひとつは地下鉄タガンスカヤ駅(環状線)構内にあり、ツアーの途中で「この先が地下鉄に続いています」と教えてもらえます。モスクワの地下鉄はとても深く、そのためエスカレーターもとても速いのですが、地下シェルターと繋がっていたなんて!ということは、もしかしたらあの駅もこの駅も・・・!?

 

時間になると軍服姿の案内人が登場して簡単なオリエンテーション。危険なので迷子にならぬよう必ずグループで行動し、絶対に勝手に電線やボタン、スイッチなどに触れないこと!厳しい口調に緊張が走ります。

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△そして、まずは地下18階(310段)まで一列になって螺旋階段を降りていきます。エレベーターもありますが、シェルターの深さを体感するためにも基本は徒歩!歩きやすい靴での参加をおススメします。

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△世界のなかの有名なシェルターを紹介する地図。職員が水分補給出来るようにソ連時代の炭酸水の自動販売機もありました。最近モスクワのショッピングセンター等ではこのレトロなデザインの自販機が復活しています。

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△このシェルターには、常時600人もの職員が働いており、5交代制で2000人以上が任務にあたっていたそうです。極秘任務として、自身の担当場所への往復経路と任務以外のことは一切知らされていなかったそうです。暗号解読の機械なども展示されていました。通信業務には女性もいたんですね。

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△レーニンの肖像画の前に座るスターリン!案内人曰く「実際にここにスターリンが座っていたということではありません。観光客の皆さんが喜ぶので・・・」とのこと。

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△会議用の長テーブル

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△ここで、希望者を2名募り、実際の操作パネルの前で核ミサイル発射シュミレーション。架空の都市に起こったフィクションの映像とはいえ、その臨場感と投下後の絶望の世界は恐怖の一言。この博物館は、二度とこのような悲劇が起こらないように願い戒める役割を果たしています。

さて、最後には地下鉄タガンスカヤ駅に向かう通路ではドッキリも仕掛けられています!

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ここで突然、真っ暗闇になり・・・あとはぜひ実際に体感してみてください!地下18階でしかも恐怖の映像を見た後ですから、心臓が止まりそうになります。

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△グッズも販売されているチケット窓口では、毒マスク姿の顔写真がついた通行証を記念に受け取ることも出来ます。

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△そしてツアーの終点は、モスクワで一番深い場所(地下65m)にあるレストランへ続いています。ユニークな個室などもあり、ステージではソ連歌謡が、モニターではソ連映画が上映されています。(エレベーターを利用してレストランのみの利用も可能です。)

【博物館】БУНКЕР-42 НА ТАГАНКЕ  http://bunker42.com

【レストラン】http://www.banket-bunker42.ru

住所:115172, г. Москва, 5-й Котельнический переулок, д.11

サーカス大国ロシアが誇るモスクワの2大サーカス劇場といえば、「Большой Московский Государственный цирк ボリショイ・モスクワ国立サーカス」と「Московский цирк Никулина на Цветном бульваре ツヴェトノイ・ブリバール・モスクワ・ニクーリン・サーカス」ですが、ほかにもここでしか観ることのできないユニークなサーカスがあります。

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△そのひとつが、ドゥロフ記念動物劇場(«Уголок дедушки Дурова»)です。動物の彫刻がいっぱいの可愛らしい建物!

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△それぞれのサーカス団専用の劇場があるなんてさすがサーカス大国ですね!

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△建物内の廊下はギャラリーになっています。1912年にこの劇場を創設したピエロで調教師、動物心理学の研究者、サーカス分野で初のソ連功労芸術家でもあるウラジーミル・ドゥロフ氏(Владимир Леонидович Дуров)をはじめ、歴代のアーティストたちの写真やポスター等・・・

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△動物と記念撮影コーナー

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△暗い客席で光るおもちゃが人気のようです。

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△ロシアの劇場や屋台ではすっかり定番人気の綿アメ。ロシア語でも“ワタ”と言います。

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△ロシアでは3度のベルで開演です。

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△まるで絵本の世界のように動物たちが人間とともにストーリー仕立てで楽しませてくれる部分と、動物とともに世界各地の民族衣装を着た男女ペアがつぎつぎに登場してショーのように魅せてくれる部分がありました。シベリアが舞台のトラのサーカスや、スイスが舞台の山羊のサーカスなど。ほかにもサル、犬、猫、ニワトリ、セイウチなど・・・さまざまな役者(動物)が登場しました。

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△モスクワの動物園でも人気者の白いオオカミ!オオカミとも抱き合ってキスしたり愛おしむようになでてやったりと絆を感じます。こちらの劇場では、調教に鞭などを使用せず、ほめてご褒美をやることで舞台を作り上げていくそうです。途中で舞台裏へ帰ってしまったり、予定通りにいかない場合もありますが、決して無理強いはせず優しさが伝わってきます。

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△ロシアのサーカスといえば熊!愛嬌たっぷりで芸達者です。

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△カバも登場!そして最後は「私たちのサーカスのシンボルにもなっている一番大きな役者を紹介します!」

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△ついに象が登場すると、会場はキャー!という子どもたちの大歓声に包まれました!!!

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△悠々とステージを一周したあとは、逆立ちなども見せてくれます。象とともに登場したのは、ナタリヤ・ドゥロワさん。創設者の玄孫(やしゃご)にあたります。古き良き伝統が大切に引き継がれていますね。

 

«Уголок дедушки Дурова» http://www.ugolokdurova.ru

住所: Ulitsa Durova, 2/1

いよいよ今年2019年6月、世界三大音楽コンクールのひとつに数えられるチャイコフスキー国際コンクールが開催されます。ロシアを代表する作曲家ピョートル・チャイコフスキー(Пётр Ильич Чайковский 1840-1893)の晩年の家は、モスクワ郊外クリンに国立の博物館として残っています。

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チケット売り場やお土産屋さん、企画展の展示室やコンサートホールなど各種施設の入った大きな建物の奥の敷地内に、チャイコフスキーが1892年5月から1893年10月まで過ごした家があります。

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△まずは2006年に作られた大きなチャイコフスキー像がお出迎え!夏には銅像の周りに、このミュージアムを訪れた著名人によって植樹された木を見ることができます。自然を愛したチャイコフスキーは最晩年をここクリンで過ごし、

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豊かな自然からインスピレーションを得て精力的に作曲を続けていました。作曲の合間には、こんな風に楽譜を手にベンチに腰かけたりして過ごしたのでしょうか・・・。

雪解けの時期・・・澄み渡る青空、白樺林に降り注ぐ春の陽光。鳥のさえずりが聞こえ、足元には若草が萌えています。そこにチャイコフスキーが暮らしていた頃のの雰囲気を残した区画があります。

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△1階の桃色の客間には、チャイコフスキーの大きなポートレートとともに記念の品が展示されています。階段を登ると、コートや杖を掛けておく玄関廊下があり、居間へとつづきます。

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△部屋の中央に置かれたБеккер(ベッカー)社のグランドピアノは、今もチャイコフスキーの命日や誕生日に演奏されています。チャイコフスキー国際コンクールの受賞者だけがこのチャイコフスキーの愛用していたピアノ鍵盤を奏でることができます。チャイコフスキーの音楽とともに楽しめるオーディオ・ガイドでは、イーゴリ・グリーシン演奏の『ノクターン』を聴くことができます。

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△読書は最高の祝福と考えていた読書家のチャイコフスキーの本棚。プーシキンやゴーゴリ、ツルゲーネフ、トルストイ、チェーホフなど文学作品から歴史や哲学、聖書、外国語の本など幅広い興味が伺えます。本のなかにはチャイコフスキーによる書き込みもそのまま残っているそう。モーツァルトやロシア正教の合唱曲集など楽譜の棚もありました。

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△部屋のなかは、家具の配置や写真の位置にいたるまですべてチャイコフスキーによるもので、生前と変わらぬ姿で残っているそうです。生涯独身で、このクリンのお屋敷にひとりで暮らしていたチャイコフスキーですが、愛する家族や親戚、友人や教え子たちの写真がたくさん飾られており、いつも家族に囲まれて過ごしていました。また、4000通もの手紙のコピーも保管されています。

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鏡台にかけられているミハイロフスキー・レースで縁取られた布は、チャイコフスキーの才能のファンだったフランス人女性エマ・ジェントンが作ったもので、チャイコフスキーはこの御礼に『センチメンタル・ワルツ』を作曲したのだそうです。名付け親から贈られたイコン『カザンの聖母』も飾られていました。

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△窓から美しいクリンの庭を臨むこの机で、交響曲第6番『悲愴』が完成しました。たった今、書き上げたばかりかのように楽譜が置かれていました。頭に浮かんだメロディーを書き写すのが難しいくらいだったと言われるチャイコフスキーですが、規則正しい生活を好み、毎日同じ時間に机に向かっていたそうです。「インスピレーションは、怠け者を尋ねるのは嫌いだ」という言葉も残されています。

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△手作りの麻のカーテンがかけられた食堂

建物は増築部分へと繋がっています。チャイコフスキーの死後、博物館として開館するために、モデストや甥のダヴィドフがこの部屋を使っていました。

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△劇作家だった弟モデストのこだわりの部屋

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△甥のダヴィドフの部屋。さまざまな絵や自分で描いた水彩画がかざられています。この甥はチャイコフスキーの大のお気に入りで、幼い彼に捧げる『子どものアルバム』という可愛らしい作品も作っています。

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△企画展では、チャイコフスキーの愛用の品とともにその人生の軌跡をたどることができました。

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△文通していたフォン・メック夫人やモスクワでの仕事ぶりなど

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△1891年1月にモスクワで友人たちと当時まだ目新しかった録音機に吹き込んで楽しむひとときが録音された音声も

「幸福の条件は、たくさんいい空気を吸い自然のなかを散歩して過ごすこと」そう考えていたチャイコフスキーにとって、偉大な作曲家として多忙なスケジュールをこなしていたモスクワから少し離れたここクリンは理想の場所だったのでしょう。

Музей П.И.Чайковского

https://tchaikovsky.house/

 

モスクワのなかでも最高級のレストランとして長く愛され続けてきた «Ц.Д.Л.»(Центральный Дом литераторов) (ツェー・デー・エル)文学者の家。

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△1889年に建てられたこの貴族のお屋敷は、1897年からオルスフィエフ伯爵家のものとなり伯爵夫人のサロンとして使われていました。1917年のロシア革命後は建物は国有化されましたが、1934年にはマクシム・ゴーリキーの要請により、Центральный Дом литераторов(文学者の家)の建物になりました。文学者の家は、トルストイの『戦争と平和』や、ミハイル・ブルガーゴフ『巨匠とマルガリータ』にも登場しているそうです。

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△ソ連時代、作家協会に所属することは、今では想像もつかないほどの最上級のステータスだったそうです。

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ソ連時代〜今日まで、ここを訪れたたくさんの著名人が紹介されているギャラリースペース。

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△詩人のボリス・パステルナーク、バレリーナのマイヤ・プリセツカヤ、歌手のアーラ・プガチョワ、国外からもフランスのパントマイムアーティストのマルセル・マルソーやイタリアの俳優イヴ・モンタンなど・・・・華麗なる顔ぶれ!ロシア文化フェスティバルのシュビトコイ・ロシア実行委員会委員長の笑顔も。

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△Дубовый зал(オーク・ホール)前方にはステージが設けられ、シャンデリアとステンドグラスがゴージャスな雰囲気を醸し出す中、この夜はハープのコンサートを楽しみました。

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△この2階席へつづく階段の手すりに寄りかかりながら、ブラート・オクジャワのコンサートを聴いたのですね・・・!ほかにも、Каминный зал(暖炉のあるホール)や、Кабинет Графа(壁にならぶリトグラフが美しいキャビネット)、シガー・ルームにシークレット・ルーム、バルコニー、オルスフィエフ伯爵家ミュージアムなどたくさんのホールや個室があります。

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△たっぷりのオリーブと酸味が魅力のスープのラソーリニク。メニューにはほかにも、定番ボルシチや魚のスープのウハー、伝統的なキャベツのスープのシーなどが、黒パン“ヴォロジンスキー“とともに出てきました。

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△ロシア風の焼きロールキャベツ。メインでは、ビーフストロガノフやキエフ風カツレツ、サーモンのステーキなども人気だそう。どれもこれも美しい盛り付けです。

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『ロシア文化フェスティバル IN JAPAN』のパーティで、女優で実行委員会副委員長の栗原小巻さんに推薦していただいたロシア文学のなかの1冊が『戦争と平和』でした。モスクワのトルストイの家博物館や、生涯愛した故郷のヤースナヤ・ポリャーナのお屋敷を訪ね、ここで特別な時間を過ごすのも記念になりますね。

«Ц.Д.Л.» cdlart.ru/

 

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ウラジオストクで1983年に結成された人気ロックバンド Мумий Тролль(ムミー・トローリ)のミュージック・バー。トヴェルスカヤ通りの一等地にあります。ロシアのロック・ミュージック界に新たな一時代を築いたレジェンドのひとりと言われています。バンド名はフィンランドの作家トーベ・ヤンソンの『ムーミン・トロール』をもじって名付けられたそうです。

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△店内はこれまでリリースされた曲や各国でのライブでの映像、記念写真などムミー・トローリのミュージアムのようで、ファンにとっての聖地になっています。ムミー・トローリが活躍しはじめた頃、とにかくその斬新さは際立っていたそうです。まだウラジオストクが閉鎖都市だったころ、ラジオでソ連では知られていなかったヘヴィ・メタルなどの外国の音楽を聴き、刺激を受けたとインタビューで語っていました。

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△大きなタラバ蟹が!出身地ウラジオストクを中心に極東シーフード料理が24時間楽しめるのが自慢です。

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△デザートのアイスクリームもホタテの貝の上に・・・!

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△日本を紹介する広報誌『Япония(日本)』の2018年春号が各テーブルに置かれていました。リーダーのイリヤ・ラグチェンコさんのロング・インタビューが掲載されています。初来日は16年以上も前で、北海道のロックフェスティバルに参加しました。代表作を函館大学の学生が翻訳し、日本語で歌ったのだそうです。その後も日本のミュージシャンとの交流はつづき、2017年には単独来日公演。

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さらに彼が日本のロック界の父と称するX JAPANのリーダーYOSHIKIさんとは長い親交があり、2018年には日露交流年の枠内で、X JAPANのドキュメンタリー映画『WE ARE X』がロシアで劇場公開される際に、ムミー・トローリの映画『SOS Матросу』と同時上映されて話題になりました。YOSHIKIさんと一緒に曲を書いてみたい!きっと若い世代にも相互理解を深める興味深い試みになるのではともインタビューで答えていらっしゃいました。

△ヒット曲  『Владивосток 2000』(ウラジオストク2000)

レストランで友人から聞いた話によると、イリヤ・ラグチェンコさんのお祖父様は、1950年代後半のニキータ・フルシチョフの時代に沢山建てられたフルシチョフカと呼ばれる建築様式のプロジェクトを進めた有名な建築家のひとりだそう。フルシチョフカの特徴は、5階建てくらいの小さなアパートで、低予算のため安価なコンクリートブロックが使われており(煉瓦は高級だったため)、エレベーターはありません。モスクワを中心に改装工事が進められ、今ではあまり見かけなくなってきたけれど・・・と写真を見せてもらいました。

Мумий Тролль公式サイト https://www.mumiytroll.com/

«Мумий Тролль Music Bar» mumiytrollbar.com/

住所 Tverskaya St, 7, Moskva

ロシアの文豪レフ・トルストイが1882年(54歳)から20年間、冬の間に住んでいたモスクワの邸宅と庭が、博物館として残されています。 妻ソフィアと2人の娘、5人の息子とともに暮らしていました。

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△庭から見るお屋敷。トルストイと寄り添うソフィアが出迎えてくれます。

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△トルストイ通りの入り口。茶色の木の塀に囲まれた建物や犬小屋まで、文豪トルストイが住んでいた当時のままに再現されています。

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△1階の食堂。グラスの置いてある席が、亭主であるトルストイの席でした。スープボールが大小2つ並んでいますが、菜食主義だったトルストイと、父を尊敬し同じような思想を持っていた次女マリヤは野菜のスープを、それ以外の家族は肉入りのスープを食べていたそうです。

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△上の息子たち3人の部屋。ピアノはのちに音楽家になった長男セルゲイが使用していたもの。

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勉強机では、妻のソフィアがトルストイの原稿を清書していたそう。

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△妻ソフィアは刺繍が得意だったそうです。

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△子供部屋

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△モスクワの芸術学校で学んでいたという長女タチヤナの部屋。明るく社交的で、訪れた客人や親戚(父トルストイのものも!)にサインしてもらい、それを刺繍にしてテーブルクロスにしていました。

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△水道がないためモスクワ川まで水を汲みにでかけ、電気がないためキャンドルを使って生活していたそうです。

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△ピアノのある客間。音楽家のラフマニノフやスクリャービン、リムスキー=コルサコフなど数々の芸術家たちが集いました。故郷のヤースナヤ・ポリャーナで農民の子どもたちのために開いた学校で、1908年2月にトルストイがスピーチしたときの貴重な肉声(発明家エジソンから録音機を贈られたトルストイはこれを大変気に入って、よく使用していました。手紙などを録音した音源がたくさん残っています)や、ピアノが上手だったトルストイが自ら作曲したというワルツの録音(博物館の音源の演奏はピアニストのアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル Александр Гольденвейзер 。トルトイトイとはチェス仲間だったそう)も聴かせてもらい、私たちもすっかりこの客間でくつろいでしまいました。

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△子どもたちが出し物をしてお客様に見せることもあったそうで、こちらはその手作りのプログラム!

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△妻ソフィアの部屋。アンティークを中心にソフィアのお気に入りのもので占められています。

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△派手な色使いで強い印象を受けるインテリアですが、たくさんの家族の写真や肖像画に囲まれ、ソフィアの家族を想う心が強く現れているようです。

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△次女マリヤの部屋。簡素を好んだ父トルストイの影響を受け、長女の華やかな部屋とはまたガラリと雰囲気が違う素朴な可愛らしさがあります。とても真面目で、ソフィアとともにトルストイの原稿の清書を手伝ったり、日本語を学んだこともあるのだとか。

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△使用人のお部屋。コーヒー豆を挽くミルが置いてありました。

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△トルストイの外套と妻ソフィアの衣装。

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△そしてこの2階の奥の角部屋が、文豪の書斎です。ここで『復活』などの大作が生まれたそうです。

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△こだわりの趣味の部屋でもあります!熱中していたと言うブーツ作りの道具やウエイトリフティングのバーベル(毎朝持ち上げていたそう)、晩年に気に入っていたと言う自転車など愛用の品が展示されています。

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四季折々の美しさを楽しめる美しい庭。トルストイは都会での生活には馴染めず、故郷のヤースナヤ・ポリャーナでの田舎生活を好んでいました。

Музей-усадьба Л.Н. Толстого в Хамовниках http://tolstoymuseum.ru

住所:  Ulitsa L’va Tolstogo, 21

 

今年の1月18日から19日にかけての深夜に、ロシア正教の主の洗礼祭(Крещение)が行われました。ヨルダン川で預言者ヨハネがイエス・キリストに洗礼を施したことを祝う日です。敬虔なロシア正教徒たちは、極寒ロシアの川や湖、池などの氷を十字架の形に割った場所で沐浴し、十字を切りながら3度頭まで入って身を清めます。

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△主の洗礼祭のイコン

モスクワでも60カ所以上で沐浴が出来る場所が用意され、新聞やインターネットで案内が出ていました。多くの場所では18日の18時〜19日18時まで開放され、自由に入水することが出来ると書いてありました。都心部では小さなプールのような人工的なものも多いのですが、こちらの池(Большой Садобный пруд)では3カ所用意されていました。

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△まずはメイン会場。深夜から始まり、19日は一日中、沐浴に訪れる人が後を絶ちません。私たちが訪れた昼頃でも−7度。この時期は日本の大寒と同様、крещенские морозы(主の洗礼祭の極寒)と呼ばれ、モスクワでも最も冷え込む時期なのですが、この時期としてはやや暖かく、水温は−4度程度とのことでした。

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△氷の十字架を前に、4つの沐浴場がありました。階段と手すりにもつららが下がります。

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△わずか数分にも老若男女それぞれのドラマがあります。十字架のネックレスに祈り、静かに入水する女性。雄叫びをあげ気合いを入れて入っていく男性。監視員にスマホを渡し動画をとってもらう親子。「これは一種のスポーツみたいなものだよ!見てないで試してごらん!」と声をかけてくれた毎年常連の男性グループも。

終わるとタオルやバスローブを羽織り、入り口脇のテントのなかで着替えます。身体を温めてくれる飲み物や救護室も用意されていました。

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△また、沐浴のあとで、大きな沐浴場へ移動して寒中水泳をしている方もいました。

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△多くの人が訪れイベントの雰囲気の強いメイン会場から少し離れたところには、ひっそりと氷が割られた沐浴場も。

この日は清められた水に力が宿ると信じられており、教会へ聖水を頂きにいく信者の方も多いそうです。

△毎年プーチン大統領の沐浴の様子なども話題になります。

さて、お休みの日は、スキーやそり遊びを楽しむ人でいっぱい!

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△ロシアの冬らしい一日になりました。

 

さて、以前のブログのなかで、モスクワ市内にあるロシアの国民的詩人プーシキンにまつわる場所をいくつかご紹介しました。そのなかのひとつ、«Кафе Пушкинъ» カフェ・プーシキンは最も人気のあるレストランのひとつです。

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△ピンク色の可愛らしい壁とクラシックな外観で、地下鉄プーシキンスカヤ駅をでてすぐ、プーシキン像のあるプーシキン広場の横に、プーシキンの生誕200年記念の1999年にオープンしました。

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△入り口正面のバーカウンターが、まるで昔の薬局の趣きを感じさせるところから1階フロアは通称“薬局“とも呼ばれています。

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自然光が差し込みむ店内は、帝政ロシア時代を思わせる重厚な家具とロシアらしい深い赤を基調としたセッティングが素敵です。ビジネスランチやお茶を楽しむお客さんで賑やかな雰囲気です。

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△観光客も多いため、サービスもメニューも英語&ロシア語が可能です。昔は新聞風だったメニューは、現在ちいさな本のようになっています。ビジネスランチは、前菜&サラダ、スープ、メインに分かれており、2コースですと620ルーブル、3コースですと930ルーブルです。最後にコーヒーか紅茶がつきます。

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△左はお花畑のような盛り付けのオリビエサラダ、右は魚のスープのウハー。林檎入りのボルシチも看板メニューのひとつです。

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△ロシア風パンケーキのブリヌイ、イクラ添え。ホフロマ塗りのスプーンがアクセントになっています。

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△左はチキンのカツレツ、右はビーフストロガノフ風ペリメニ。ユニークな発想でプーシキンカフェならではのアレンジが施されたロシア料理は、一皿一皿に嬉しい驚きがあり、このレストランの雰囲気ともよく合っています。

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△一方、2階は緑色を基調にしたより落ち着いた雰囲気の予約席になっており、Библиотека(図書館)と呼ばれています。本棚には革張りの古書が並び、望遠鏡や地球儀、パイプに燭台など、インテリア小物も魅力的。まるで19世紀にタイムスリップしてどこかのロシア貴族の邸宅の書斎にでも招かれたかのようなゴージャスな気分を味わえます。

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△そして、カフェ・プーシキンの隣に2006年にオープンした «Кафе Пушкинъ»Кондитерская パティスリー カフェ・プーシキン。

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△名物のプーシキンの本をイメージしたケーキやマトリョーシカ・ケーキなども頂くことが出来ます。

 https://www.youtube.com/watch?v=TilQ8BIHisw

△フランスの歌手Gilbert Becaudの『Nathalie』(1964年)という歌のなかで、“カフェ・プーシキンというお店のココア“という歌詞が登場するところからインスパイアされて誕生したお店なのだそうですが・・・

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△実はフランスのパリにも、同じ名前のカフェ・プーシキンがあり、

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ゴージャスな店内でロシア料理やロシア式アフタヌーン・ティーなどを頂いたり、

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△モスクワと同じマトリョーシカ・ケーキなどが味わえることは、ロシア通の間でもあまり知られていません!

どこもかしこも雰囲気があり、モスクワやパリで一息つきたいときにオススメです。

«Кафе Пушкинъ» カフェ・プーシキン cafe-pushkin.ru

ロシアで最も愛されている国民的詩人の一人プーシキン! Александр Сергеевич Пушкин(1799-1837)

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△赤の広場からつづく目抜き通りトヴェルスカヤ通りを進むと、プーシキン広場に銅像があります。広場では四季折々のイベントが催され市民の憩いの場になっていますし、6月6日の誕生日などの記念日には銅像にたくさんの花が捧げられ、詩の朗読会やイベントが催されます。もちろん、たくさんの観光客がここを訪れます。

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△プーシキン像のそばには、並木通りに面してモスクワを代表するレストラン«Кафе Пушкинъ» (カフェ・プーシキン)

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△隣にはパティスリー『カフェ・プーシキン』Кондитерская «Кафе Пушкинъ» 。

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△モスクワの2大美術館のひとつは、その名も国立プーシキン美術館(Государственный музей изобразительных искусств имени А. С. Пушкина)ですし、

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△もう一方の国立トレチャコフ美術館では、プーシキンの肖像画を見ることが出来ます。アラブ人の曾祖父を持ち、やや褐色の肌と巻き髪をしています。曾祖父はピョートル大帝のもとへ奴隷として連れてこられたそうですが、実力主義の大帝にその才能を買われて出世した人物で、プーシキン自身が作品のなかでその生涯を描いています。

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△プーシキンの名を冠したホテルや劇場もありますし、

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△街中には、プーシキンにちなんだ場所にプレートを見つけることも出来ます。

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△さらに深くその作品について知りたい方には、国立のプーシキン博物館。「金の魚」などの童話の世界を楽しめる子ども向けの展示も充実しています。

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△アルバート通りには、新婚時代に暮らしていた家の博物館(モスクワ通信『プーシキンの部屋記念館』)、

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△プーシキンが結婚したといわれる教会のそばには、プーシキンとナタリア夫人が手を取り合い見つめあうロマンチックな噴水もあります。

もちろん、本屋や図書館にはプーシキン関連の本もたくさんありますし、子どもたち用にもプーシキンのおはなしや詩、CDも売られています。

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△劇場シーズンには、モスクワ市内のたくさんの劇場で、プーシキンの作品『エヴゲーニー・オネーギン』『ボリス・ゴドゥノフ』『ルスランとリュドミラ』『スペードの女王』などが繰り返し上演され、プーシキンの詩をモチーフにした歌曲やコンサートも人気です。

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△新トレチャコフ美術館の横からモスクワ川沿いのピョートル大帝像へとつづく芸術公園ムゼオンにもプーシキン像。

大好きなプーシキンを感じながらモスクワ歩きをしてみるのも素敵ですね。

 

1905年創業の老舗ホテル«Метрополь»(メトロポール)。赤の広場からすぐ、ボリショイ劇場の向かいという素晴らしい立地で、各国から訪露する要人・著名人御用達のホテルとしても知られています。

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△鉄道王サーヴァ・マモントフの依頼で設計された建物は、ロシア・モダンの最高傑作のひとつとされています。ファサードには、トレチャコフ美術館でもその作品をみることが出来るロシアの画家ヴルーベリのモザイク画。オープン直前に発生した火災でも焼失することなく残りました。

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△ステンドグラスの美しいエレベーター。モスクワで初めてエレベーターが設置されたのがこのホテルだったそうです。

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△絨毯とステンドグラスに彩られた階段も素敵です。

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△吹き抜けの回廊は、ホテルの歴史や訪れた著名人のポートレートが飾られたギャラリー・スペースになっています。

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△創業した頃の白黒写真では、ホテル前には馬車が行き交い歴史を感じます。

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△トルストイ、ラフマニノフ、シャリャーピンなどの文化人が集い、チャップリン、マイケル・ジャクソンなどの著名人や各国の大統領・首相などが訪れました。

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△ホールにはツルゲーネフ、ドストエフスキー、ゴーゴリなどこのホテルを訪れた偉人の名前がつけられています。こちらはトルストイの間で、壁に肖像画も飾られています。

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△宿泊客の朝食やブランチが楽しめるグランド・ホール。こちらも天井のステンドグラスに圧倒されます。中央には噴水。ステージではかつてシャリャーピンが歌ったそうです。

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また、ロビー・バー«Шаляпин»(シャリャーピン)では、素敵なрусская чайная церемония(ロシア式アフタヌーン・ティー)を頂くことが出来ます。

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△テーブルウェアは、ロシアを代表する高級陶磁器Императорский фарфоровый завод(インペリアル・ポーセリン)の«Сетка-Блюз» ブリュス・セット!

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△サモワールのような湯沸し器で熱々のお湯を注ぎながら、お好みの紅茶を頂くことができます。。

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△ロシア風クレープのブリヌイには、蜂蜜やジャム、そしてスメタナにイクラ。イクラの入れ物の取っ手には、金のチョウザメがついていました!イクラ用の食器があるなんて、さすがロシアですね。ほかにも、下段にはサーモンや黒パンのミニサンドイッチ、上中段にはプチフール、そしてピロシキ各種や絶品クランベリーの砂糖がけなどもついています。

в лобби-баре «Шаляпин»(ロビー・バーにて) – 5800 ルーブル(2-4人用)
в номере отеля (客室にて)– 4500 ルーブル (2-4人用)

 

«Метрополь» https://metropol-moscow.ru