黄金の輪をなす古都のひとつウラジーミルから南へ。同じウラジーミル州のなか、ロシアのクリスタル・ガラスの里グシ=フルスタリヌイ(Гусь-Хрустальный)があります。ガラスの里にぴったりの美しい水辺!

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“水晶のガチョウ”を意味するグシ=フルスタリヌイには、世にも美しいクリスタル・ガラスの博物館があります。このグシ=フルスタリヌイに工場を作り、クリスタル・ガラスの町にしたマリツォフ家の名を冠したクリスタル・ガラス博物館(Музей хрусталя имени Мальцовых)です。

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△赤煉瓦と白い大理石のコントラストが美しいゲオルギエフスキー大聖堂(Георгиевский собор)は1892~1903年に建築家ベヌア・レオンティ(Леонтий Николаевич Бенуа)のプロジェクトに基づいて建てられました。一歩足を踏み入れると・・・

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息を呑むような美しさ・・・!聖堂の醸し出す厳かで神聖な空間に浮かび上がるように輝くクリスタル・ガラス!!!1983年5月に聖堂内にオープンしたこの博物館の約2000もの展示品は、18世紀後半から現在まで続くの工場のコレクションとグシ=フルスタリヌイの優れたガラス・アーティストたちの作品です。

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△手前左は1950年台の化粧セット“マーガレット”。可憐なマーガレットのお花に似せてカットしてあります。手前右は、海をテーマにしたワインセット。中段左は、果実酒のセット。どれも1940〜50年代の作品。

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△祭壇の上とその反対側にある2枚のモザイク画は、どちらもトレチャコフ美術館で傑作を見ることができる画家ヴィクトル・ヴァスネツォフの作品です。祭壇にはクリスマスツリーのような巨大なガラスのモニュメントも飾られていました。

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△聖堂の前のアキム・マリツォフ(Аким Васильевич Мальцов)像

芸術的なクリスタル・ガラスの世界を堪能したら、ぜひ工場見学もどうぞ。

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△さびれた雰囲気の工場が、長い歴史を感じさせます。

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△1756年創業のクリスタル・サロン(Салон Хрусталя)は、白鳥の湖ならぬ湖の白いガチョウがトレードマークです。

そもそもの始まりは1723年、オルロフの商人ワシーリー・マリツォフ(Василий Юрьевич Мальцов)がモスクワ郊外の村にクリスタル・ガラス工場の設立を許されたことから歴史が始まったと考えられています。数年後、ワシーリー・マリツォフは息子のアキム&アレクサンドル兄弟にこの工場を受け継ぎます。しかし1747年には、モスクワに火事が及ぶ危険性から近郊での工場設立が禁止されるようになり、マリツォフ兄弟が工場を移した場所がこの自然豊かなグシ=フルスタリヌイでした。展示会などで披露されるたびに国内はもちろん国際的にもロシアのグシ=フルスタリヌイのガラス製品の評価は高まり、1900年パリ万博グランプリ受賞など数々の賞に輝きました。しかし近年は、欧米諸国のガラス製品に押され気味で一度は閉鎖してしまいましたが、ロシアを代表するクリスタル・ガラス製品として、今も変わらぬ技術と伝統を守り続けています。

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かまどのなかにガラスの塊を入れて高温で熱し、成形していきます。大声を出さなければ隣の人の話し声が聞こえないほどのボウボウと燃えさかる炎の音、汗を流しながら屈強な男性たちが黙々と作業しています。時折、うまく仕上がらなかった作品を割るガシャーンという音も聞こえます。

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△熱したガラスの玉から、ピンセットのような道具でスーッと首を伸ばし形を整えたら、あっという間に白鳥?ガチョウ?が現れました・・・!

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△挑戦させていただきました!熱したガラス玉がついた棒は、ゆっくりと一定のスピードで回していかなければ、すぐに球が偏ってしまいます。簡単そうに見えて、なかなか難しい!

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△「上手、上手!よし、ここで今日から働きなさい」優しい職人さんのお言葉。

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続いては、やすりを前にガラス製品をカットしていく作業を見せていただきました。

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見学の最後には、工場内のミュージアムへ。

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これまでの工場の歴史の中で誕生した一点ものの記念品や企業ロゴ入りのユニークなコラボ商品、大作、時代を反映したシリーズ作などどれもこれも貴重なものばかり。ガラス製のサモワールも。
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工場内にもショップがありましたが、近くには、さらに品揃え豊富な工場直営店や掘り出し物にも出会えるクリスタル・ガラス市もあります。ぜひお気に入りを見つけてくださいね!

 

6月12日はロシアの日でした。今回は、ソ連とロシアの時代に名を残し、今も人々に敬愛されている偉人たちのパンテオン、ノヴォデヴィチ墓地(Новодевичье кладбище)を歩きます。門を入り右手側の建物がチケット売り場です(2020年現在は親族のお墓参り以外は大人1枚300ルーブル)。また、売店で地図(200ルーブル)も購入できます。重複していたり地図の場所に存在しないお墓もあったりしますが、これがなければ広い敷地内に26,000以上あるお墓の中から目的地へ向かうのは至難の技!見つけたお墓に印をつけて訪問の記念にも。世界遺産にもなっているノヴォデヴィチ修道院とは壁で仕切られており別の入り口です。

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△まるで彫刻のようなお墓が並び、モスクワの観光名所のひとつにもなっています。美しい緑に包まれた墓地には、お花を手にのんびりとお散歩を楽しむロシア人の姿もよく見かけます。

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△入り口の門の手前左には花屋があります。ロシアではお祝いのお花は奇数と決まっていますが、故人には偶数のお花を捧げます。多くの人が献花に訪れる著名人の墓は、それぞれの区画の外側(通路沿い)に位置していたり、横にベンチが置いてあったりします。ロシアは土葬が多いのですが、葬儀の際には生花を、そしてその後は、生花でも造花でも好きなお花を捧げます。長い間美しく飾ることができる造花の花輪もお墓ではよく見かけます。リボンとお花でできた花輪には、誰から捧げられたかが記されています。

それでは、ロシア文化フェスティバルにも縁の深い偉人たちの美しいお墓をご覧ください!

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△2007年に101歳で逝去されたイーゴリ・モイセーエフ(Игорь Александрович Моисеев)のお墓。今年2020年の目玉プログラムとして、ロシアではもちろん世界中で愛されているイーゴリ・モイセーエフ記念国立アカデミー民族舞踊アンサンブル公演があります。ロシアを訪れたら誰もが一度は観たいと願い、1度観たらぜひまた観たくなる!と声を揃えて絶賛します。

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△白く幻想的に浮かび上がるバレリーナのガリーナ・ウラノワ(Галина Сергеевна Уланова) のお墓。スターリン建築の高層アパートには、ウラノワの部屋博物館が残されています。

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△女優タチヤナ・サモイロワ(Татьяна Евгеньевна Самойлова)のお墓。『アンナ・カレーニナ«Анна Каренина»』や『鶴は飛んでいく«Летят журавли» 』など名演で魅了しました。

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△サーカスの顔!伝説の道化師ユーリー・ニクーリン(Юрий Владимирович Никулин)。今でも彼の名を冠したニクーリン・サーカスは大人気!

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△劇作家・小説家アントン・チェーホフ(Антон Павлович Чехов)のお墓。周りには同じカモメのマークのついたモスクワ芸術座の俳優や関係者のお墓が並びます。

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△はためく巨大なロシア国旗は、ロシアのボリス・エリツィン(Борис Николаевич Ельцин)初代大統領のお墓

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△左:2009年 右:2020年

文豪ニコライ・ゴーゴリ(Николай Васильевич Гоголь)のお墓が以前のものとは変わっており、驚きました!実はゴーゴリは、ゴルゴダの丘に立つ十字架のような何の変哲もない石の上に十字架を立てた墓にしてほしいと遺言していたそうです。ゴーゴリは1852年に聖ダニーロフスキー修道院の墓地に葬られましたが、その際には、遺言通りに石と十字架、そして大理石の石棺が置かれていました。1932年、お墓と亡骸はこのノヴォデヴィチ墓地へ移され、ゴーゴリが天に召されてから100年の節目を記念して胸像が建てられました。そこには文豪ゴーゴリへソビエト政府から捧げられたことが記されていたそうです(それが、写真左の胸像です)。しかし、その後新生ロシアとなり、2009年には改めて、ゴーゴリの遺言の通りの墓に戻ったのだそうです(写真右が現在の墓)。

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△ヴラジーミル・ネミロヴィチ=ダンチェンコ(Владимир Иванович Немирович-Данченко)のお墓。スタニスラフスキー及びネミローヴィチ・ダンチェンコ記念 モスクワ・アカデミー音楽劇場は来日公演も多く日本でも人気があります。

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△作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチ(Дмитрий Дмитриевич Шостакович)のお墓

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△トレチャコフ美術館で知られているパーヴェル・トレチャコフ(Павел Михайлович Третьяков)のお墓

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△メゾ・ソプラノ歌手エレーナ・オブラスツォワ(Елена Васильевна Образцова)のお墓

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△チェロ奏者ムスティスラフ・ロストロポーヴィ(Мстислав Леопольдович Ростропович)のお墓

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△『巨匠とマルガリータ』などで知られる作家ミハイル・ブルガーコフ(Михаил Афанасьевич Булгаков)のお墓

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△詩人ヴラジーミル・マヤコフスキー(Владимир Владимирович Маяковский)のお墓

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△作曲家・ピアニストのアレクサンドル・スクリャービン(Александр Николаевич Скрябин)のお墓

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△モスクワ音楽院創設者ニコライ・ルビンシュテイン(Николай Григорьевич Рубинштейн)のお墓

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△バス歌手フョードル・シャリャーピン(Фёдор Иванович Шаляпин)のお墓

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△2017年に亡くなったバリトン歌手ドミトリー・フヴォロストフスキー(Дмитрий Александрович Хворостовский)のお墓。チケット売り場にはたくさんのCDがあり、この日一番多くのお花が捧げられていました。人気の高さが窺えます。

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△作曲家ドミトリー・カバレフスキー(Дмитрий Борисович Кабалевский)のお墓。

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△航空機設計者アンドレイ・ツポレフ(Андрей Николаевич Туполев)のお墓

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△最近スターリン建築のロシア外務省の建物前に銅像も完成した外務大臣エヴゲニー・プリマコフ(Евгений Максимович Примаков)のお墓

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△日ソ国交回復への道を開いた松本・マリク会談のソ連側全権代表ヤコフ・マリク(Яков Александрович Малик)のお墓(写真左)

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△壁にも棚が設置され、骨壺や記念碑、お花で飾られています。

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△ガイドツアーも人気です。こんな風に、憧れの偉人のお墓を訪ねお花を捧げることもできますし、お墓を見て歩きながら新たな出会いや発見もあります。

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△墓地の近くには世界遺産にも指定されているノヴォデヴィチ修道院。そして作曲家チャイコフスキーが『白鳥の湖』のインスピレーションを得たといわれている美しい池があります。

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△池の反対側からは、現代ロシアを象徴するモスクワ・シティの摩天楼も綺麗に見えていました。

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住所:Лужнецкий пр-д, 2, Москва

 

ロシアでは春を迎えるといよいよダーチャのシーズンが幕を開けます。モスクワでは平日を都心部のアパートで暮らし、週末には郊外の菜園付きの別荘で過ごす人が多いのです。雪がすっかり溶けて暖かくなってくると、畑の土をならして種を撒いたり、しばらく使っていなかった家を掃除したり修理したり、「とにかく毎日やることがいっぱい!」と大変そうに、でもなぜか嬉しそうに、いそいそとダーチャに向かいます。

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△列車に揺られて1時間。小さな駅からさらに車に乗って・・・ちいさな村のお友達の家族のダーチャへ。

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△どこまでも澄んで青い空。伸びやかに枝葉を伸ばす緑、思い思いに咲き乱れる花。自然がいっぱいです。

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△広いお庭では、ロシア風のバーベキュー“シャシリク”を楽しんだり、犬とかけっこしたり、木にくくりつけてあるブランコを漕いだり、ベンチでくつろいだり。お昼が近づくと、菜園でみずみずしいキュウリや大きなじゃがいもなどを収穫します。

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△飛び交う蜂から逃げつつ、どろんこになってお手伝い。栄養満点のビーツも美味しそう!

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△菜園にはほかにも、トマト、人参、サラダ菜、ネギなどのハーブ類、ベリーにプラム・・・綺麗な空気と水、太陽の光を一杯に浴びて光っています。

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△穫れたてきゅうりとすぐり、揚げたジャガイモとお肉、黒パンとバター、飲み物はクワス!息子も何度もおかわりして頂きました。商店は駅のそばか隣村にしかないとのことで、大事に冷凍していた鶏肉をご馳走してくださるおばあちゃま。マッチで火をつけるタイプのガス台やホーローのお鍋など、昔ながらのキッチンです。「さあ、これもお食べ!どんどんお食べ!」ロシアでも日本でも料理上手のおばあちゃまのあったかさは同じです。

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△食後はお散歩へ。各家庭それぞれの自慢のダーチャを拝見するのも楽しいですし、

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△シーズンにはキノコ狩りが楽しいという森の方には、魚釣りができる小川や泳げる池もあります。麦わら帽子をかぶり、草相撲をしたり大声で歌ったりしながらどこまでも進みます。

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△お茶の時間になると、お庭のフレッシュなハーブを摘んでおばあちゃまがハーブティーを淹れてくれました。お手製の木苺のヴァレーニエ(果実の形を残したコンポート)を小さじで頂きながら、昔ながらのお菓子をつまみ、紅茶を味わいます。窓からの景色と楽しいおしゃべりは最高の贅沢です。

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△少しお昼寝でもしておいで、と促されて室内へ。ベッドサイドには、おばあちゃまの眼鏡とともに読みかけの本や数独パスル、色とりどりの刺繍糸などがあって、ここで静かに過ごす夜を想ってほっこりします。

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△手作りの煉瓦づくりの暖炉ペチカや、家族の思い出のつまったランプや家具、本棚の上のイコンや家族写真、使わなくなってしまった年代物のサモワール(ロシアの湯沸し器)・・・ダーチャには家族の歴史がつまっています。

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△お家の中では、冬に備えて、ハーブを乾かしていました。

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△持ちきれないほどのたくさんのお野菜とお手製ヴァレーニエをいただき、そして楽しい思い出を胸に、ロシアのダーチャで初夏の一日を満喫しました。

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中世ドイツからソ連、そしてロシアへ・・・歴史を紡ぐ融合の都市カリーニングラードの特徴ある博物館を3つご紹介します。

1 琥珀博物館(Музей Янтаря)

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△琥珀博物館は、世界有数の琥珀の産地として知られるカリーニングラードに、ロシア唯一の琥珀博物館として1979年に開館しました。市内には、赤煉瓦造りが美しい中世の城塞や城壁が点在しており、王の門、フリードランド門、フリードリフスブルク門など全部で6つある城門を巡るツアーも人気です。現在は修復されて博物館やレストランとして利用されるなど観光地化が進んでいます。琥珀博物館は、ロスガルテン門(Росгартенские ворота)とともに残っている塔 の中にあります。

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△地中奥深くに眠っている鉱物からなる他の宝石とは違い、琥珀は地上の植物の樹液(樹脂)が悠久のときを経て化石となったもので、“太陽の石”とも呼ばれています。長い歳月をかけて琥珀が誕生するまでの歴史や、虫や植物などが含まれた珍しい琥珀が展示されています。

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△4kg280gの琥珀の標本

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△トンボの羽が見える琥珀。美しい地球の恵みです。

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△琥珀を採掘している様子のジオラマ

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△サンクトペテルブルク郊外プーシキンにあるエカテリーナ宮殿には、部屋全体が琥珀で装飾された“琥珀の間”があります。かつてプロイセン王からピョートル1世に贈られた琥珀の装飾パネルが原型となり、ピョートル大帝の没後にはエカテリーナ2世が夏の宮殿であるエカテリーナ宮殿に琥珀の間を完成させて特別に好んでいたと言われています。しかし、第二次世界大戦中ナチス・ドイツ軍がソビエト連邦を侵攻し、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)のエカテリーナ宮殿から沢山の宝飾品と共に琥珀の間も奪われてしまいました。琥珀の間の装飾は分解されてケーニヒスベルクへ運ばれ、ケーニヒスベルク城内で保管されていました。しかし空襲で町全体が破壊されると琥珀の間は跡形もなく消滅してしまい、それから現在まで見つかっていません。今もどこかに隠されているのか、誰かが密売してしまったのか、はたまた本当に消滅してしまったのか、想像をかき立てられます。

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△琥珀の間は、その後新たに復元されることになり、1979年から24年かけて作業が行われ、選び抜かれた最高級の琥珀およそ6,000kgを用いて2003年に完成しました。困難を極めた当時の修復の様子についても紹介されていました。

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△エカテリーナ宮殿の飾り箱のレプリカ(1979年)

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△赤から橙色、黄色、緑色、茶色へ・・・美しいグラデーションで魅せる琥珀工芸美術品の傑作はどれも見応えたっぷりです。館内のショップも充実しており、記念に琥珀製品を購入することもできます。

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△続いて、のどかな公園の中に、地下へ続く道。防空壕博物館(Музей бункер) へ。

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△第2次世界大戦でナチス・ドイツ軍が使っていた防空壕が博物館として公開されています。細長い通路の両脇に小部屋があり、展示室になっています。

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△戦時中のジオラマ。空襲により壊滅的な町の様子と、地下の防空壕の中の様子も細かく見ることができました。

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△部屋の様子も当時のままに再現されています。1945年、ここで、ドイツの司令官が降伏の決定を下しました。

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△薄暗い防空壕から外へ出ると夏の強い日差しの下で戦車も展示されていました。

 

3 ブランデンブルク門のマジパン博物館 (Музей марципана в Бранденбургских воротах)

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△ブランデンブルク門(Бранденбургские ворота)の中にあるマジパン博物館へ

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△マジパン(марципан)は、アーモンドプードル(粉末)と砂糖をペースト状に固めた素朴な甘さのお菓子。起源は諸説ありますが、ドイツでは18世紀まで薬局で売られていたのだそうです。様々な型に入れたり、粘土のように手で成形したりして、そのまま頂いたり、デコレーションに使ったりもします。マジパンの歴史、そして昔の貴重な型や美しい化粧箱のコレクションが紹介されています。

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△博物館内にはマジパンで作られたカリーニングラードの観光スポットも。マジパンで作られた“ソヴィエトの家”

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△ソ連時代のアニメ作品をテーマにした特集コーナーには、チェブラーシカやソ連版くまのプーさん

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△奥にはお土産用のマジパン屋さんもあります。ドイツ製とカリーニングラード«ポマッティ(Поматти)» 社のマジパンが販売されていました。1809年ケーニヒスベルク ではポマッティ兄弟が初めてマジパン工場を開き、すぐに評判となりました。ロシア帝国にも輸出され、流行したそうです。

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△カラフルで凝った形のマジパンは、贈り物としても喜ばれます。年末年始が近づくと、ドイツでは幸運を運んでくれるアイテムとして豚の形のマジパンが縁起物のひとつなのだそうです。

飛び地ならではの文化の交差点 カリーニングラードの魅力を味わえる博物館、ぜひ訪れてみてください。

世界最大の国土を持つロシアですが、その最西端に、飛び地の小さな州を持っています。ポーランドとバルト三国(リトアニア、ラトヴィア、エストニア)との間にあるカリーニングラード州です。

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もともとはドイツ領のケーニヒスベルクでしたが、1945年、第2次世界大戦で、ナチス・ドイツ軍と赤軍との激しい戦いで壊滅。(第2次世界大戦中には、大量のユダヤ人にビザを発給して命を救った日本人外交官の杉原千畝氏も一時期ここケーニヒスベルクで働いていました。)終戦とともにソビエト連邦のものとなり、最高会議幹部会議長であるカリーニンの名をとってカリーニングラードと名づけられました。その後、ソ連式に都市化されソ連人が移住してきたこの町は、ソ連崩壊後まで閉鎖都市となり、外国人は立ち入ることができませんでした。

現在では古き良きプロイセンを訪ねるツアーなどドイツからの観光客も多く、都市の再開発によってドイツ風の街並みやドイツ料理&ビールを味わえるレストランが出来たり、ドイツとの協力のもとでケーニヒスベルクの歴史を知ることができる観光スポットも大切にされています。ロシアで初開催された2018年ワールドカップでは、カリーニングラードも会場のひとつになりました。

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△モスクワから鉄道ヤンタリ(琥珀)号を使うと市南部の南駅に到着します。(飛行機だと約2時間)

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△南駅すぐ隣のカリーニン広場に建つカリーニン像。ミハイル・カリーニンは、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキに属して活動していた革命家で、その後ソビエト社会主義共和国連邦の最高会議幹部会議長を務めます。レーニン没後は、最高指導者の後継にヨシフ・スターリンを推したと言われ、そのスターリンによってここはカリーニングラード州カリーニングラードと名づけられました。(また、カリーニンの出身地であるトヴェリもかつて1931年から1990年まではカリーニンと呼ばれており、現在も通りの名前などにカリーニンの名前が残っています。)

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△カリーニン広場のカリーニン像からレーニン大通りを徒歩数分。今度は、レーニン広場のレーニン像が見えてきました。

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△街の中心にでんと鎮座するのは・・・カリーニングラードのランドマークになるはずだった廃墟の“ソヴィエトの家”!ここにはかつて、中世の赤煉瓦造りが美しいケーニヒスベルク城や城塞がありました(ケーニヒスベルク はドイツ語で“王の山”という意味だそう)。戦後、ソ連によって城は破壊され、代わりに1975年ビジネスセンターの“ソヴィエトの家”が建てられ、そして完成することもなく廃墟となって現在まで残っています。ちなみにケーニヒスベルク城の地下はお墓だったそうで、今もその呪いが・・・なんてささやかれたりもしています。

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△町の中心を流れ、バルト海に注ぐプレゴリャ川の中洲カント島にあるゴシック様式の大聖堂(Кафедральный собор)。ソ連時代は廃墟のままで放置されていましたが、近年ドイツとの協力で修復されました。聖堂の内部にはプロイセンとケーニヒスベルクの歴史関連資料が展示され、上階はドイツの哲学者カントの博物館になっていました。イマヌエル・カントはここで生まれ育ち、ケーニヒスベルク大学の教授として生涯を過ごしました。チャイコフスキー作曲のバレエ『くるみ割り人形』の原作小説を書いた作家ホフマンも同じくケーニヒスベルク出身で、同大学ではカント教授の講義を聴講していたのだそうです。ケーニヒスベルグ大学は、ポーランドのクラクフ大学についで中東欧では2番目に古い歴史ある大学で、現在はカリーニングラードにあるカント名称バルト連邦大学の一部になっています。

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△美しい水の都!ケーニヒスベルクの町を再現したジオラマ。

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△聖堂内はケーニヒスベルクをテーマにした沢山のステンドグラスも見所です。ドイツ騎士団の紋章や武器、衣装なども展示されています。パイプオルガンが自慢の音楽ホールではコンサートも催されていました。

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△建物の裏手には哲学者カントの眠るお墓もありました。また、大聖堂の周りは緑の美しい彫刻公園になっており、たくさんのロシアの偉人の彫像がありました。

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△ピョートル1世像

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△チャイコフスキー像やガガーリン像、ほかにもたくさんのユニークな彫像が点在していました。

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△プレゴリャ川沿いを散策してみましょう。ハニー・ブリッジ(Медовый мост)の欄干には、可愛らしいおじいさん(дедушка хомлин)が座っていました。名前の通り、橋では結婚ホヤホヤの新婚カップルが数組、蜂蜜のようにあまい記念写真を撮っていました。ロシアでは結婚した2人が、ウェディングドレス姿で町の景色の美しい場所をまわり、記念写真を撮る風習があります。そして、橋の上では、永遠を誓って二人の名前を書いた南京錠をかけたりするのです。

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△ドイツ風の街並みが楽しめる川沿いエリア。気持ちよさそうに風を受けて遊覧船が行き来しています。

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△プロイセン時代に魚市場として栄えていた場所は、都市再開発により、“フィッシュ・ビレッジ(Рыбная деревня)”と呼ばれシーフード自慢のお洒落なレストランが並んでいました。写真中央にある灯台の展望台に登ってみると、

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△展望台からは美しいカリーニングラードの町を一望できました。ここからも廃墟“ソヴィエトの家”が見えます。幸せの鳥のモニュメントも。展望台まで階段を登って行く途中には、ガラスの作品やアクセサリーなどが展示販売されていました。

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△バルト海に面した不凍港カリーニングラードはロシア海軍バルチック艦隊の軍事拠点にもなりました。海洋博物館には水族館があるほか、海に関するさまざまな展示を見ることができるそうです。海洋調査船や潜水艦なども公開されています。

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△カリーニングラードからさらに鉄道や車で約1時間、バルト海沿いの町ゼレノグラツク(Зеленоградск)へ足を伸ばすと、夏を満喫できる海辺の保養地になっていました。写真奥は、リトアニアとの国境へつづき、ユネスコ世界遺産にも登録されているクルシュー砂州(Куршская коса)になっています。

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△潮風を感じながら海沿いをゴーカートや自転車でサイクリングしたり、海辺のブランコで夕陽を眺めたり、砂浜でビーチバレーをしたり、思い思いに過ごしています。

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△ゼレノグラツクの可愛らしい街並み。

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△猫の博物館があり、猫の信号、猫のベンチ、猫の家・・・町は猫のモチーフでいっぱい!あちらこちらをのんびりと猫がお散歩しています。

中世ドイツのケーニヒスベルクからソ連、そしてロシアへと歴史を紡ぎ、飛び地ならではの文化の交差点となっている融合の都市カリーニングラードです。

ポジャルスキー・カツレツ発祥の地であり、エレガントな金の糸刺繍で有名な、宿場町トルジョク。モスクワとサンクトペテルブルクを繋ぐ古都は、川の流れる緑豊かな美しい町です。散策してみましょう。

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△トルジョクのプーシキン広場のプーシキン像。

国民的詩人プーシキンも、何度もこのトルジョクを訪れ、ポジャルスキーの宿屋のポジャルスキー・カツレツが大好物だったと聞いて、トルジョクのプーシキン博物館を訪れてみました。

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△トルジョクのプーシキン博物館(入場券は大人1人100ルーブル)

プーシキンが初めてトルジョクに立ち寄ったのは、1811年6月。サンクトペテルブルクのリツェイに入学することになった甥をモスクワから送って行ったときでした。その後、1826年からは毎年のように、時には1年に複数回も立ち寄ったようで、合計23回もここを訪れたという記録が残っています。

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△プーシキンは、妻に宛てた手紙のなかでもご馳走になった美味しいポジャルスキー・カツレツやクワスについて書き綴った他、たくさんの手紙を書いて何度となくトルジョクの郵便局へ足を運びました。

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△当時のトルジョクの町での人々の暮らしが再現されていました。

さらに時代をさかのぼり、12世紀のトルジョクのクレムリンへ向かいました。

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△トルジョクのクレムリン (Новоторжский кремль 入場券は大人1人50ルーブル)

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△クレムリン内の高台からトルジョクの町を一望できます。

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△クレムリンのすぐ隣にあるボリソグレプスコイ男子修道院(Борисоглебской мужской монастырь)。

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△▽教会の中を見学した後、横にある小さな博物館へ。トルジョクの歴史をさらに深く知ることができます。

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△この修道院の敷地内の聖堂は、トルジョクの近くの村で生まれ帝政ロシア時代に活躍した建築家ニコライ・リボフ(Николай Александрович Львов 1819−1853)の作品です。トルジョクをはじめ、サンクトペテルブルクやモスクワにもたくさんの優れた建築作品を残しました。トルジョクの近くにあるお屋敷(Усадьба Знаменское-Раёк・写真右上、右下は屋敷内の客間)や、丸石の橋(Валунный мост・写真左中央)などもぜひ見てみたくなり、足を伸ばすことにしました。

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△町を流れるトヴェルツァ川にかかる橋のたもとで見つけたリボフ像。

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△トルジョクの町の北、建築民俗野外博物館ヴォシリョヴォ(Архитектурно-этнографический музей под открытым небом “Василево”)のなかにある、リボフ設計の丸石の橋(Валунный мост)

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△建築家としてだけでなく、植物学者で園芸家、また詩人や音楽家としての顔も持つリボフの作品は、まさに総合芸術!この橋も“石のシンフォニー”と称されています。

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△さらに車を走らせ、次はズナメンスコエ・ラヨクの邸宅(Усадьба Знаменское-Раёк)へ。

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△今はすっかり廃墟のようになってしまっていますが、目を閉じると舞踏会の音楽や人々のざわめきが風に乗って聞こえてきそうな。当時の栄華を感じさせるとても美しい場所でした。

トルジョクの町のなかにも、廃墟と化した美しい建物がたくさんありました。

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△例えば、町の中心部にあるこちらの聖堂(Спасо-Преображенский собор)。しかし一歩なかへ入ると・・・

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△宗教弾圧によりソ連時代には内部が工場として使われましたが、現在は再び十字架とイコンが置かれ祈りの場所になっています。資金不足で修復が難しいまま今日に至っているとのことでした。

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かつて栄え、そして廃れ、歴史が凝縮された味わい深い町です。

宿場町トルジョクといえば、ポジャルスキー・カツレツの他にもう一つ忘れてはならないのが、金を混ぜ込んだ糸で縫った刺繍製品 Торжокские золотошвеиです。9〜10世紀頃にはじまったと言われ、12世紀からトルジョクの伝統手工芸として受け継がれてきました。

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本物の金(や銀)が縫い込まれているのでその輝きはとてもエレガント!

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クレムリンをはじめ、ロシアのさまざまな場所・職業の制服で伝統的に使用されている刺繍ワッペンもトルジョク製が多いのだそうです。

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△トルジョク市内のお土産ショップではどこでも素晴らしいコレクションを見ることができました。

次はこの金の刺繍の博物館を訪れてみましょう。金の糸刺繍を深く知るためには4つの文化センターがあり、トルジョクにあるのはそのなかの2つ。

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△ひとつめは、金の糸刺繍で祈りの言葉が施された12mの帯が展示されている帯の家(Дом пояса)

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△そしてこちらの金の糸刺繍の博物館(Музей Золотного шитья)です。

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△入り口を入るとまずは、トルジョクの街の地図や観光名所、伝統的な四季の暮らしを描いた大作が飾られていました。

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△プーチン大統領をはじめ数々の著名人がここを訪れ、また素晴らしい作品が贈られたことがわかります。

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△大クレムリン宮殿のアンドレーエフスキー・ホールにも。

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△トルジョクはモスクワとペテルブルクの間の宿場町として発展してきました。両都市を象徴する建物を刺繍にした傑作も数多く保管されています。

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△この展示室では、古く貴重な初期の刺繍作品をみることができます。

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△古都トルジョクには美しい教会や修道院もあり、金の糸が神々しく輝く教会やイコンにまつわる刺繍作品も多くみられます。

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△16世紀の裁縫道具セットやこんな可愛らしい16世紀ヨーロッパ製の指貫入れも展示されていました。

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△刺繍に使われている糸には5〜8%の金が入っているため、しなやかですがしっかりとして硬い糸です。そのため通常の刺繍のように刺して布地を傷めないように、図柄に合わせて金の糸を布地の表面に固定し、それを絹の金糸で縫い付けるという独特の手法が使われています。

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△金の糸刺繍を体験してみたい方には、マスタークラスもあります。

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△次の展示室には、歴代の傑作が展示されていました。

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△『豊穣』

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△『石の花』しばらくうっとりと眺めていると、案内の方がサプライズで電気を消しました。するとどうでしょう・・・!暗い中で金色が光りだしました。

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△モスクワからトルジョク、そしてサンクトペテルブルクまで馬車で向かう様子が描かれている『モスクワからサンクト・ペテルブルクへの旅(Путешествие из Москвы в Санкт-Петербург)』。エレーナさんのお話では、プーチン 大統領はこの作品を大変気に入り、サンクトペテルブルク出身でロシアの大統領としてモスクワで執務する自らの人生に重ね合わせてイメージされたのか、ぺテルブルクからモスクワへ向かう逆のバージョンのものをお持ちなのだとか。 ご自宅に?それとも執務室に?この素敵な作品をどこに飾っていらっしゃるんでしょう。

建物内にはショップも併設されています。

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ベルベットの布に映える金刺繍のポーチは種類も豊富!どれも素敵で迷ってしまいます。美しいクッションカバーも記念に購入しました。

 

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ロシア料理のメイン料理で人気のカツレツ!よく知られているのは、カリカリの衣とジューシーなチキンのなかから、とろーりとバターが溶け出してくる“キエフ風カツレツ”です。日本ではカツレツといえば、パン粉の衣をつけて揚げているものを想像しますが、ロシアでは、ハンバーグのように丸めて油で焼いているものもカツレツと呼んでいます。でも、もうひとつ、私の大好きなカツレツは・・・ “ポジャルスキー・カツレツ”!

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△右がシンプルな“カツレツ”、左が“ポジャルスキー・カツレツ”です。

カリカリの衣の中には、ミンチしてバターと混ぜたふわふわトロトロの鶏肉が入っているカツレツです。多くのお店では、キエフ風カツレツと見た目でも区別するために、“キエフ風カツレツ”は目の細かいパン粉で、“ポジャルスキー・カツレツ”は、衣がわりにクルトンをつけて揚げたりしています。

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そんな“ポジャルスキー・カツレツ”の発祥の地をご存知でしょうか?モスクワとサンクトペテルブルクの間にある美しい町トルジョクのある宿屋で誕生したと言われています。かつては馬車で行き来していた二大都市の間に位置し、ここで馬を休ませたのです。現在はモスクワ都心部から車で約2時間半〜3時間です。ここで名物“ポジャルスキー・カツレツ”の楽しいお料理教室があると聞いてやってきました。

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△待ち合わせの場所カフェ・リラ(КАФЕ «ЛИРА»)へ到着すると、美しい民族衣装姿の女性が“パンと塩”で迎えてくださいました。

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ロシアでは伝統的に、大切なお客様をお迎えする際にはこの“パンと塩”の儀式を行います。カラバイと呼ばれる飾りをつけたふわふわの白いパンの真ん中には塩をのせた小皿があり、お客様は順番にパンをちぎって塩につけていただきます。

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△美しい飾りパンを食べてしまうのが惜しいような気がして、恐る恐るパンをとろうとすると「もっと大きくたっぷりお取り!出会えた幸せを喜ぶ儀式なんだから、たっぷりとね!!」一口頬張るとふんわりとしてまだ焼きたて!(最後にはお土産に持たせてくれます。)横にいる女性は「こちらもどうぞ!」と、ロシアの夏の風物詩クワス(黒パンを発酵させて作った炭酸飲料)を差し出してくれました。

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パンと塩の儀式が終わると建物のなかへ。続けて女性は自己紹介をはじめます。「皆様ようこそ!私の名前はダリヤ・ポジャルスカヤ。ここトルジョクにあった宿屋の女主人よ。」そう、この女性がかつてポジャルスキー・カツレツを考案した人物になりきって、私たちにこの宿場町や宿屋の歴史、ポジャルスキーカツレツが誕生するまでのストーリーを語ってくれる劇場風お料理教室なのです。

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一角にクッキング・スペースが作られており、ダリヤさんの説明に合わせてもう一人の女性が調理を始めました。レシピは1853年当時のまま。まずは丸ごとの鶏肉から骨を丁寧に取り除きます。それから包丁でトントンと挽肉状になるまで細かくしていきます。

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△「細かくすればするほど、おいしくなるのよ!そして、ここが大事なポイント!お肉が1キロなら、バターは500g入れるの。そう、恐れずにお肉の半分の量のバターを入れること!」

細かくしたお肉と溶かしたバターしっかりとよく混ぜ合わせたら塩胡椒で味付けをします。(ロシアのバターは無塩バターが主流なので、塩を加えます)お肉の準備ができたら今度はパン粉作り。

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△各面に違う用途のおろし金が付いているチョルカでパンを削っていきます。野菜をスライスしたり細切りにするのにも便利で、ボルシチに使うビーツなどお野菜を細くするときなどもよく使われるロシアではポピュラーなキッチン用品です。

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ここで私もお肉を丸めて成形してみることに。ちゃんとコック帽とナイロン手袋も用意されていました。お肉を丸めて、溶き卵を水で薄めた液に浸し、最後にパン粉をふんわりとつけていきます。「なんて上手なのかしら!あなた才能あるわ」優しいダリヤさんが優しく太鼓判を押してくれます。

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あとはこんがりときつね色になるまで油(バターも少し)で揚げて出来上がり!

さっそく揚げたてを試食しながら、ランチの始まりです。

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△サラダとボルシチ、そしてメインはもちろん、котлеты «Пожарские» ポジャルスキー・カツレツ!デザートのリンゴケーキも優しいお味で気に入りました。

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△ポジャルスキーの宿屋の評判を聞きつけて国内外の著名人が宿泊し、なかでも詩人プーシキンはポジャルスキー・カツレツが大好物だったとか。ニコライ1世もその味を称賛し、ペテルブルクの都へ呼んでカツレツを作らせたという説も。

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△こちらが本物のダリヤ・ポジャルスカヤさんの肖像画。お衣装だけでなく顔の雰囲気も、ちょっぴり今日のダリヤさんに似ていますね。

さて、ポジャルスキーの宿屋の建物は現在も残っていると聞いて、こちらも訪れました。

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△ミュージアム複合施設『ポジャルスキーの宿』Музейный комплекс «Гостиница Пожарских»

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△現在は宿屋ではなく素敵なカフェになっていました。

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そして、なんとこちらのカフェの名物は・・・

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△ポジャルスキー・カツレツ!いえ、ポジャルスキー・カツレツそっくりのケーキ!(150ルーブル)

カフェの奥は、ギャラリーとコンサートも出来そうなホールがあり、一角が小さなトルジョク陶器ミュージアムになっていました。

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△ポジャルスキーの宿屋を描いたお土産用の陶器がカフェ店内にも飾られていました。

ポジャルスキー・カツレツのお料理教室に参加したカフェ・リラや、かつてポジャルスキーの宿屋だった建物でポジャルスキー・カツレツ・ケーキが食べられるカフェ以外にも、トルジョクの街はどのレストランも食堂もその店自慢のポジャルスキー・カツレツがあるようです。

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△例えばこちらユルベスは、1992年にユーラとヴェーラとサーシャの3人で創業。3人の頭文字が店名になっています。こちらのレシピは革命前の料理本をベースにしており、変わらぬ味を提供しているのだそう。

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△自慢のポジャルスキー・カツレツ2種!油で揚げるかわりにオーブンで焼いているので、カリッとヘルシーな衣です。

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△ナイフを入れると熱々の肉汁とバターがとろ〜り!

他にも、トルジョク駅のビュッフェでも・・・

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△もちろんあります“ポジャルスキー・カツレツ”!

伝統レシピの“ポジャルスキー・カツレツ”を伝授していただいたので、ぜひお家で再現してみたいと思います。

モスクワから北へ約1500km、北極圏の都と称されるムルマンスク州の州都ムルマンスク。

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夜は美しいオーロラに出会える場所として人気がありますが、さて昼間のおススメの過ごし方は?

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まずはこちら、冬のロシアならでは!?シベリアン・ハスキーの犬ぞり体験はいかがでしょうか。

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シベリアン・ハスキーにアラスカン・ハスキー、みんなとっても人懐っこくて可愛い!遊ぼう遊ぼうと尻尾を振って元気に飛び跳ねる子、ワンワン吠えていたのに近寄るとハウスから首だけ出して様子を伺う恥ずかしがり屋の子、落とした手袋をこっそり隠してしまう子も・・・!

たっぷり積もったふかふかの雪の中で、童心に帰っての雪遊びは最高です。ハスキーたちと思う存分遊んだら、トナカイの毛皮の敷物と立派な角のコート掛けがあるログハウスの中へ。ロシア伝統の湯沸かし器サモワールを囲んであったかい紅茶とお菓子をいただきながら、犬ぞりの大会の様子をビデオで見せてもらいました。準備が出来たらスノーモービルに乗り、いざ犬ぞりの待つツンドラの雪原へ。

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約10頭の犬が引くソリに乗って、どこまでもつづく白樺林を眺めながら進みます。先頭の犬がリーダーとなってチームをまとめています。大満足の犬ぞり体験でした!

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北極海(バレンツ海)に臨むムルマンスクですが、暖流の影響で不凍港となっており、ソ連時代には軍事的にも重要な役割を果たし英雄都市となりました。周辺には今も閉鎖都市が点在しています。港には、世界初の原子力砕氷船レーニンが係留しており、2008年から博物館として公開されています。

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△北極航路はムルマンスクからチュコト半島のペヴェス。1957〜1989年まで活躍しました。

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△目抜き通りのレーニン大通りを北へ行くと、緑の岬には巨大なアリョーシャ像が建っています。第二次世界大戦で亡くなった兵士たちの功績を称えて1972年に完成しました。

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△海のロシア正教会(Морской православный храм《СПАС НА ВОДАХ》)はシャンデリアも船の形。

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△港町らしく灯台や錨のモチーフ、ライトアップもあちらこちらで見かけました。

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△こちらはロシア帝国時代に建立された砕氷船イェルマーク号の記念碑。

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△さて市内には最近、お洒落なレストランが増えてきて、ロシア料理はもちろん、トナカイ肉のステーキやスープなどご当地ならではの味、そしてカニやエビ、帆立、サーモンにタラなど新鮮なシーフードも大人気!

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△海の駅のなかでは、ロシアでは珍しく、採れたてのウニを割って食べる姿も。

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△ショッピングモールВолна(ヴァルナー、波)1階に2013年に開店したファーストフード店マクドナルドには世界最北端の記念プレートもあり観光名所のひとつになっていますし、隣の憲法広場に設置された氷の滑り台も大人気でした。

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冬だからこそ北へ、極寒のロシアを満喫できるムルマンスクなのです。

広いロシアのなかでも、北極圏に位置するムルマンスクは知られざるオーロラ・スポットとして人気があります。

今年は暖冬で雪も少なく、なんだかちょっぴり物足りない冬のモスクワから飛行機で約2時間半・・・ムルマンスクにはワクワクするような銀世界が広がって位ました。これぞロシアの冬!

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オーロラは自然の奇跡。天候に左右されます。冬に鑑賞するイメージがありますが、実はムルマンスクでは早くも9月から見ることができるそう。9〜11月は屋外でオーロラの出るタイミングを待つ間も凍える心配がないうえ観光客も少ない穴場の時期なのだそうです。

現地では、オーロラ・ハンティングの達人であるガイドさんとご一緒することをお勧めします。オーロラの強度指数を測るものなどたくさんの携帯アプリを併用して、天候の変化、特に風の向きと強さ、雲の動きをチェック。滞在期間のなかで最も見える可能性の高い時間帯と場所を予測してくれます。現地情報から穴場スポットまで熟知し、豊富な経験とノウハウを生かして最適な場所を探してくれます。

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私の滞在した2日間はオーロラ強度も弱く(KP2)、また天候に恵まれず、1日目は雪で中止。期待の2日目も朝からどんよりとした曇り空とにわか雨が続きました。しかし「可能性がある限り出かけよう!」ガイドさんからの連絡で夜21時にホテルを出発し、市街地から車でハンティングへ。仲間のガイドさんとも常時連絡を取り合い、まずはノルウェーとの国境へ続くハイウェイ沿いの道でストップ。三脚に高感度カメラを設置して待っていると、厚い雲に覆われた空の向こうに雲の切れ間が現れ、そこから澄み切った夜空と吸い込まれそうな美しい星空、そして手が届きそうなほどのスーパームーンが見えました。

 

「いい兆候だ!さらに大きな窓(雲の切れ間)を探そう!」再び車に乗り込みます。次に移動した先は、よくオーロラが現れるという人気スポットで、すでに2、3台の車が停車していました。再び雲が垂れ込める空の下、みんなで音楽を聴きながら踊ったり、空を見上げながらおしゃべりしたり、月明かりのなか雪遊びをしてみたり、そうして身体が冷えてくると車内に戻って熱い紅茶とお菓子で暖をとったりして過ごしました。その間にも天候はどんどん変化していきます。ここでは残念ながら大きな雲の切れ間は現れず、雲の動きを追いながらさらに移動していきます。やっぱり今日は無理かな?車内にほんの少し諦めムードが漂ったそのときです。突然、運転席から「すぐ車をおりて!閃光だ!!」ガイドさんの声に慌てて車から飛び出すと、空には見たことのない薄緑色の輝きが!!

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天の川のように白くふんわりと見えたり、キャンバスに絵の具を落としたように濃く点在したり、カーテンが風に揺られて踊っているように現れたり・・・つぎつぎと形を変えながら夜空に浮かび上がっては消えていきます。頭上で繰り広げられる感動的な光景にさっきまでの寒さも疲れも一気に吹き飛びます。夢中になってシャッターを押しましたが、普通のカメラではオーロラと人物の両方を綺麗に撮るのは難しいため、記念写真をお考えなら撮影つきのツアーがお勧めです。オーロラ強度指数が低い日でも、幸運にもこの奇跡のような閃光に出逢える可能性があり、オーロラを捕まえられるかどうかはまさにハンティング!このとき時刻はすでに深夜1時半、ホテルに到着したのは3時20分でした。

 

さて、冬場はマイナス20度にもなるムルマンスクでは、夜間はさらに冷え込むため、安全に楽しむためにも上下スキーウェアや厚手コートにしっかりとした雪用の防水ブーツと手袋、そして帽子は必須アイテムです。ロシアの冬に適した厚手の防寒具は、ムルマンスクのショッピングモール内をはじめロシアのスポーツ用品店でも購入できますし、またロシアの伝統的な雪用フェルトブーツのワレンキや伝統的なショールのプラトークは実用的でお土産にもお勧めです。

ロシアでの宝物のような経験がまた一つ増えました。